「日本の広告費 2009年」発表、新聞を抜きテレビに次ぐ第2のメディアとなったインターネット ~マクロ環境から読み解く、「モノの流通」から「情報の流通」への大転換期~

投稿者:小川 悟

2010/02/28 20:36

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「輪転機とトラックの台数の戦いからコンテンツ競争へと移る。素晴らしい変化だ」

/『メディアに変革 新たな挑戦』(日経新聞・特集面,2010年2月25日)

先日22日、毎年恒例の「日本の広告費」の2009年版が発表されました。

cf.

・ネット広告費が新聞を抜く–電通「2009年日本の広告費」を発表

http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20409001,00.htm

・日本の広告費と国内総生産 | 広告図書館

http://www.admt.jp/library/statistics/ad_cost/gdp.html

記事や資料によれば、日本の総広告費は5兆9222億円で前年比11.5%減となり、2008年のアメリカでの金融危機を境に2年連続で減少傾向にあります。

このリリースに先駆けて、当社セールスマーケティング2課課長の杉浦が記事(cf.「とうとう超えました。」)にしていますが、2009年度の広告費内訳を見てみると、インターネット広告が新聞広告を初めて抜き、テレビに次ぐ「第2のメディア」となったことが分かります。昨今のトヨタの動向なども合わさって、従来大手企業を中心に広告出稿がされていたテレビ、新聞、雑誌、ラジオといった、いわゆるトラディショナル・メディアと呼ばれる4マス媒体が奮わず、特に雑誌の25%の落ち込みは深刻に思えます。

昨年12月で創業100年を迎えた講談社(創業100周年特設サイト)が23日に発表した第70期(平成19・12・1~同20・11・30)決算では、当期純損失76億8600万円で過去最大の赤字決算となり、売上高の内、主要である「広告」部門では前年比25.9%減となっており、さらに博報堂DYホールディングスの11月度売上高では博報堂で雑誌広告が前年比24%減と、まさに業界トレンドを現しているかのようです。市場規模としては既に屋外広告やDMに抜かれ、フリーペーパーの広告費にも肉薄される程にまで落ち込んでいます。

 

一方で新聞も、先日発売された「週刊 東洋経済」(2010/2/20号)で、「再生か破滅か 新聞・テレビ断末魔」という扇動的なタイトルで発売されると、早速Twitterなどで話題になりました。ちなみに、昨年のこの時期の東洋経済のタイトル見出しは「テレビ・新聞陥落」で私もこのコラムで引用しました。

cf.WWW20周年、注目されるインターネットビジネスだからこそ、しっかりとした情報発信を行いたい(2009年3月21日)

http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2009/03/post-27.html

このコラムの中で私は、インターネットが台頭し始めたことによって新聞が抱えた問題の一つとして「流通経路(販路)」を挙げました。システムを構築し、プロモーションさえしてしまえば、印刷費や販売にかかる経費をぐっと抑えることができるようになり、配信スピードも比にならないくらい速くなります。以前、横浜にある日本新聞博物館 NEWSPARKに行った際、自転車を模した機械にまたがってペダルをこぎながら、目の前のスクリーンに次々と映し出される民家の郵便受けに新聞を投函するという、まさに配達員になりきれるシュミレーションゲームがあって、それにしばし興じたことがありましたが、あれは遊びだからまだしも、実際は大変しんどいものだと感じました。もちろん新聞の販売店で生計を立てていらっしゃる方も多いので、単純になくなった方が効率が良いという話でもないのですが、「ニュース」に求められる即時性を考えると、インターネットほど画期的な、新聞における脅威(あるいは機会!?)、流通革命の引き金となったものはないのではないかと感じたものでした。

この日本新聞博物館(日本新聞教育文化財団)、余談となりますが小石川にある印刷博物館」(凸版印刷)と、汐留にあるアド・ミュージアム東京」(電通)と並び、現代までの古今東西の「メディア」「広告」「印刷」に触れることのできる企業ミュージアムとしては業界関係者でない私のような者でも大変楽しめるミュージアムで、印刷博物館でかつてプランタン=モレトゥス博物館展 印刷革命がはじまった:グーテンベルクからプランタンへが開催された際は、私も真っ先に見に行ったものでした。

 

「流通革命」ということで、さらに余談を続けますと、

cf.DVD100円自動レンタル機登場!変わるレンタルビジネスの生態系(GLOBIS.JP)

http://www.globis.jp/1196

上記の記事を例に、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブの戦略と、トラディショナル・メディアのそれとを比較してみたいと思います。

私の家の近所のファミリーマートにも、先日このレンタル機が導入されました。咄嗟に「このビジネスモデルはすごい!」と感嘆してしまいました。もちろん、今までにも「TSUTAYA DISCAS」 や「アクトビラ」のようなサービスはありましたが、自社の持つリソースを活用し、コンビニエンスストアという流通経路(あるいはメディア、情報媒体と呼んでもいいかと思います)を利用し、仮に全国15000店以上のファミリーマートの店舗にこのレンタル機が置かれたら?と想像すると、生活者の便利性が大変向上するのではないかと感じました。

TSUTAYAはパッケージメディアの流通業だが、考えてみればそのことは、モノの流通と情報の流通を分離することから発想されている。お客さんはお金を払ってビデオなりCDなりを借りて行かれる。しかし翌日には返却してもらうのだから、お客さんの家にモノそのものが残るわけではない。ではお客さんは、何に対してお金を払っているかといえば、モノの中身、つまり情報の提供に対してである。その意味で、CDやビデオのレンタルビジネスは、単なるモノの流通業ではなく、情報の流通業なのである。

/『情報楽園会社 TSUTAYAの創業とディレクTVの起業』(増田宗昭著)

上記の本を書いたのは、現カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社(以下、「CCC」)代表取締役社長・最高経営責任者の増田宗昭氏で、発行は1996年のことです。まだインターネットが一般には「マルチメディア」と称されていた頃、30歳を過ぎてサラリーマンを辞めて、CCCの前身となる「蔦屋書店」を創業、2005年にはWeb制作会社大手の株式会社アイ・エム・ジェイや、株式会社デジタルスケープ、株式会社デジタルハリウッドを子会社化され、現在に至ります。

長きに渡り「モノの流通」という発想から抜けられなかった新聞に先立つこと、CCCが自社の事業ドメインを「情報の流通業」と銘打って戦略化していったのは、今より15年近くも前のことだったのかと、今の時期改めてその先見性に驚きました。

ちなみに、TSUTAYAや前身の「蔦屋書店」 の名の由来となったのは、江戸時代の出版人、蔦屋重三郎(蔦重)です。正確に言うと、蔦屋重三郎が由来というのは後年になってオーソライズされた逸話であり、実話としては増田氏のお祖父さんが営んでおられたお店の屋号の「蔦屋」からとられたものだそうです。

私は学生時代、学部で近世文学を専攻していたことがあり、蔦屋重三郎に関する記述に目を通したこともあったような気がしますが、その頃の担当教授が「江戸時代に築かれた出版流通の歴史は、メディアとして捉えても大変面白い」というようなことを言っていて、その後も関連した書籍には目を通したものでした。

cf.『西鶴と元禄メディア―その戦略と展開』(中嶋隆著)、『江戸の本屋さん 近世文化史の側面』(今田洋三著)

 

――閑話休題。その後、「NEWSWEEK」(2009/9/16号)で「新聞・テレビ絶滅危機」というタイトルで、「新聞絶滅へのカウントダウン」なる特集が組まれ、日本よりもインターネット広告が躍進するアメリカにおける新聞社の危機的状況が詳細なレポート付きで公開され、これもまた業界関係者の間で話題となりました。

このように権威性のある媒体や専門家たちが煽ると、「メディア」の特性としてアナウンスメント効果のように一層加速する傾向にあるので、広告代理店やメディア関係者はもちろんのこと、私たちも今後さらに注意が必要ではないかと思いました。

不景気になるとまず削られるのが広告費と昔から言われますが、日本の総広告費自体は額面にして前年比7700億円も落ち込んでおり、GDPを見ると中国に抜かれるのも時間の問題で、インターネットも含めて企業の広告出稿意欲が全体的に高まっているとはとても言いにくい状況です。

また、「新聞を抜いた」と大概のメディアで煽られるインターネット広告ですが、内訳をよく見てみれば前年比1.2%と微増で、Web(PC)広告はむしろ微減、モバイル広告の前年比12.9%増に助けられた格好で、「インターネットが新聞を抜いた」というと多少バイアスがかかる気もしました。

 

私が、当社にとって追い風だと感じている点は、冒頭で引用した日経新聞が「日経新聞 電子版」を来月23日に創刊するという事実情報です。

cf.日経電子版 広報部|日本経済新聞のWeb刊です。

http://pr.nikkei.com/

この前々から賛否のあった大決断は、未来から振り返ってみても、メディアの大変革を促した大きな事象となるのではないかとさえ思いました。近年、インターネット隆盛の中で、電博をはじめとした大手広告代理店が売上低迷していると言われながら、同時にインターネット広告大手やWeb制作会社大手への出資を続けていた流れも含めて、シンクタンクの未来予想以上に確信的に市場の伸びがほぼ約束された市場を相手にしているという妙な緊張感を私は抱いていました。

中小・ベンチャー企業向けにWebコンサルティングやインターネット広告の出稿代理業を行う当社にとって重要な点は、今年の「日本の広告費」を見て「インターネットが新聞を抜いた」ことに浮かれることではなく、むしろこのニュースを「インターネットを割り込んで新聞が落ち込んだ由々しき事態だが、今後伸びゆく可能性が残された」と見て、より一層の質向上に励む時期であると感じました。

トラディショナル・メディアの代表格である新聞が、ついにインターネットを明確に流通経路(販路)として選んだ――、この事実は、以前に生き残りをかけてインターネット上にニュース配信をする道を選んだときと同様、新聞自らが生活者のライフスタイル、及び広告主となる企業の広告担当者の在り方を今まで以上に大きく変えてゆく引き金を引いたのと同じであると思います。

 

世の中に流通しているものの処理されず蓄積されている、「情報クラッター(情報のゴミ)」がこんなにも存在するのです。これらの情報は生活者に消費されません。仮に私たちが送り出す広告が、この矢印の間に入ってしまえば、それはもう広告ではなく、ただのゴミということになるのです。

/『コミュニケーションデザインをするための本』(岸勇希著)

上記、『コミュニケーションデザインをするための本』(岸勇希著)という本の中で、2001年のブロードバンド元年以降、世の中に流通する情報量が急激に伸びた一方で、消費者が処理した「消費情報量」がほとんど変わっていないことを示すグラフが掲載されています。

cf.『情報大爆発 コミュニケーション・デザインはどう変わるか?』(秋山隆平著)

 

「情報化社会」から「情報過社会」へ――。

たった10年で、私たちを取り巻く情報はこんなにも変化しました。マクロ環境分析で言うところの「PEST」(cf.『松下幸之助没後20年、「共存共栄」について想う ~「社会の公器」として「定額給付金」の使い方を考える~』)を敏感に捉え、この変化の波に取り残されないよう、私たちは自分たちの本業であるインターネット広告、及びWebコンサルティング業務をより一層強く推進し、広告としての質を高めていきたいと思いました。