タイトルだけでクリックさせる ~タイトルの”修辞学”~

投稿者:小川 悟

2008/02/11 23:39

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このような版元の意識にあるのは、一〇〇パーセント商品としての書籍であって、内容の思想性や藝術性は、商品の価値を尺度としてしか考えられない。タイトルのように、著者の表現行為と商品としてのネーミングが衝突する場所では、商品としてのあり方が優先されなければならないことは言うまでもない、というわけである。

/『タイトルの魔力』(佐々木健一著)

昨年2007年1月21日、東京都港区に「国立新美術館」がオープンしました。日本の国立美術館としては、大阪の国立国際美術館以来、30年ぶりの開館でした。2003年10月18日に開館した「森美術館」(六本木ヒルズ森タワービル)、2007年3月30日に移転、再オープンした「サントリー美術館」(東京ミッドタウン)と共に「六本木アート・トライアングル」を形成すると言われて、各館を結ぶバスが走ったりなど一時期話題となりました。

また、それぞれ設計・建築を手掛けた方も有名な方ばかりで、国立新美術館は昨年お亡くなりになられた黒川紀章氏、森美術館はニューヨーク近代美術館内「MoMA Design & Book Store」を手掛けたリチャード・グラックマン氏、サントリー美術館は雲をモティーフとした現在の渋谷駅のファサードを手掛けた隈研吾氏、ちなみにサントリー美術館と時期を同じくして東京ミッドタウン開業に併せて開館した「21_21 DESIGN SIGHT」は安藤忠雄氏による建築・設計です。

その時期あたりを境として、世界的にも美術館ブームが起こっていると言われています。2006年末には、台北の國立故宮博物院がリニューアル。2007年にはニューヨークで、金沢21世紀美術館を設計したSANAA(妹島和世氏と西沢立衛氏)により「ニューミュージアム」が新築、2009年には同じくSANNAによる「ルーヴル美術館分館」も予定されており、今年から2012年にかけてはロンドンの「テート・モダン」の増築を、プラダブティック青山店や北京オリンピックの会場となるオリンピックスタジアムを手掛けるヘルツォーク&ド・ムーロン氏が担当するなど、美術館ブームに重ねて有名建築家による建築物としての美とのコラボレーションからも目が離せません。

 

こうした、美術館のみに限らず、博物館や水族館、植物園、プラネタリウム等を広義に包括する意味で「ミュージアム」という言葉を使用してみますが、昨今のミュージアムブームは、ミュージアムが本来有する“メディア”としての機能・役割が、現代になって見直されてきた現れなのかもしれません。

先の六本木ヒルズや表参道ヒルズなど、森ビルの掲げる都市構想――「文化都心」や「都市のルネサンス」などをコンセプトとした街づくりの一環の動きの中に、私たちは心理学者アブラハム・マズロー氏の唱える「ミュージアム経験」を連想することもあるでしょう。

マーケティングの大家であるフィリップ・コトラー氏は、このマズローの「ミュージアム経験」に基づき、著書の中で以下のように述べています。

本書では、ミュージアムを訪れることで得られる「ミュージアム経験」というコンセプト――とりわけ学ぶ経験、祝う経験、レクリエーションと社交、美に接する悦び、充実感などに着目する。またミュージアムのコンセプトや役割の進化、すなわち重要な文化的資産の収集と保存から、経験を提供し意義を伝える「情報と教育の場」への進化についても検討する。

/『ミュージアム・マーケティング』(フィリップ・コトラー、ニール・コトラー著)

  かつてヴァルター・ベンヤミンの著書『複製技術時代の芸術作品』の中で、芸術作品が礼拝的価値から展示的価値に移行した経緯について、あるいはルドルフ2世治世下において「ヴンダー・カンマー」(驚異の部屋)と呼ばれる蒐集家によるコレクションの展示室が点在したマニエリスム芸術の絶頂期の遺産を、後にナポレオンが略奪して美術館に並べ直した経緯についてを説明したものを読んだ日から、今私たちが利用している現代のミュージアムの果たすべき役割について深く考えさせられるようになりました。

 

前置きが長くなりました。そんなミュージアムに足を運ぶとまず目に入るのが作品ですが、同時に作品の横に掲示されているプレートが目に飛び込んできます。プレートには作品名、作品の描かれた年、作者名、作者生没、または作品紹介がされているものもあります。皆さんはミュージアムで作品を鑑賞する際、作品とプレートとどちらを先に見ますか? 冒頭でご紹介している『タイトルの魔力』の中で著者の佐々木健一氏は、作品から見る人を「審美派」、プレートから見る人を「教養派」と呼んで区別しています。

私はどちらが先と決めて鑑賞しているつもりはないのですが、必ずと言っていいほどこのプレートを参照します。絵画であればその限られたスペースの中に、画家が何を描こうとしたのか、その意図を知りたいからだと思います。また、その意図との一致や、まったく違ったインスピレーションが沸き起こる感覚を楽しんでいるのかもしれません。学芸員の方などから説明を受けたことはないですが、そのプレートには、おそらく「タイトル」が書かれているのだろうという先入観に基づいて視線は自然とプレートに向かいます。これはもうアリストテレスの時代からの宿命かもしれません。そして、通常私たちは頭や心に認知・認識したものを言葉として表現したいと考えているし、言葉の持つ意味に関しても他者と共有したいと考えている筈です。ですから、この場合のように作品のタイトルを参照したいという欲求は、自ずと発生するものなのだと思っています。

 

そうした欲求を弄ばれたかのような作品があります。20世紀に活躍したベルギーの画家、ルネ・マグリット(1898年-1967年)の、その名も『イメージの裏切り(これはパイプではない)』という作品がそれです。誰が見てもその絵はパイプにしか見えないのですが、画家自身は作品中に「Ceci n’est pas une pipe(これはパイプではない)」と描いています。何のことかとプレートを見ると、「パイプの絵であって、”パイプ”ではない」といったような説明があります。「そりゃそうだ、単なる謎掛けか?」と思えばそれまでですが、ここに作品とタイトルとを繋ぐ「イメージ」の揺らぎ、不信を感じたものでした。プレートにある説明内容に全てを依存している自分がいたのです。

cf.『これはパイプではない』(ミシェル・フーコー著)

また同時期に活躍したフランスの画家、マルセル・デュシャン(1887年-1968年)にも似たような印象を受ける作品があります。『泉』と名付けられた作品は、男子用小便器です。この作風の作品は、俗に「レディ・メイド(既製品)」と呼ばれていて、現代美術の始まりと言われることもあります。こちらも普通に考えれば作者の意図によって命名されただけの作品のように思ってしまいますが、デュシャンがこの作品を展覧会に出品しようとした際、主催側から拒否されたことに対して「たとえ既製品でも、タイトルを付ければ芸術作品になり得る」と抗議文を出したというエピソードを知り、なるほどと思いました。おそらくデュシャン以降の芸術家たちは視界が拡がったことでしょうし、それが今の現代美術を形成する一つの因子となっているのかもしれないと感じました。

 

cf. 「タイトル」の語源について

伝説に名高いアレクサンドリアの図書館は、紀元前四七年の火災で大被害を受けたが、その頃七〇万巻の書籍を所蔵していた。そのそれぞれの巻物には、小さなカードが付けられていた。内容を見分けるための手だてで、これが「ティトゥルス(titulus)」と呼ばれた。タイトルという語の起源である。

/『タイトルの魔力』(佐々木健一著) 

こういった画家たちの試みは、文章作品に例えるとある種の「レトリック(修辞学)」のようにも思えてきます。

しかし、いざ商用利用するとなると、奇抜なコピーライティングの発想などの場合を除いては、こうした発想はあまり採り入れたくはないものです。できれば、「タイトル」と「内容」はできるだけ一致させたいものです。それは、政治家のマニフェストや企業のIR、ビジネスマンのコミットメントなどと同様に、「言っていることとやっていることが同じ状況」を作らないと、第三者からの信頼が得られないからです。ビジネスの世界では、貨幣経済が信用取引で成立している構造上、まず「信頼」や「信用」を得ていかないことには始まりません。

この「言っていることとやっていることが同じ状況」(言行一致)は、インターネット、とりわけSEO施策や、また、リスティング広告の分野でも必要とされてくる概念です。有名検索エンジンのアルゴリズムの基本としては、この状況、つまり「タイトルと内容の一致」が重要視されてきます。検索エンジンを能動的利用する私たちとしては、タイトルに騙されて不要な情報を得たくないわけですから、そうしたユーザーからの信用が欲しい検索エンジン提供側としては、ユーザーの期待に応えるべく、「タイトルと内容の一致」がされていないWebサイトの評価を落とします。そうして、情報を求めるユーザーと、情報を提供したいと考えている情報提供者とをマッチングさせることを命題としている筈です。

 

そういった重要な「タイトル」ですが、それがシビアに求められてくるのは、巨大メディアのニュースの見出しかもしれません。タイトルだけで興味を惹かせてクリックさせ、さらにユーザーが期待した通りの内容である必要があります。

限られたスペース、そして限られた文字数。まさにニュースの見出しこそ、ビジネスシーンにおける「タイトルの”修辞学”」の実践かもしれませんね。最後に興味深い取材記事がありましたのでご紹介致します。

 

 cf. MarkeZine:◎Yahoo!ニュース トピックスが13文字である理由
http://markezine.jp/a/article/aid/2224.aspx