『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』 宮本武蔵

投稿者:吉田 亮

2010/02/26 13:43

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『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』

佐々木小次郎との巌流島の決戦、鞘を投げ捨てた小次郎を見て、「小次郎、破れたり!」の台詞で有名な宮本武蔵が『五輪の書』に残した言葉です。

宮本武蔵は、もちろん剣豪として有名ですが、ビジネス的には兵法家としての方が優れていたように書かれることが多いですね。

「勝てない相手とはそもそも闘わない」などはその最たるものです。

一見、臆病者と呼ばれてしまいそうですが、勇気と無謀はまったく別のものでしょう。真に「剣豪」なら、自分より強い相手と闘ってほしいところですが、「兵法家」なら、勝てない戦をわざわざするのは愚の骨頂です。

そんな60戦無敗の宮本武蔵が、残したこの言葉は、ものすごく簡潔に言うと、

日々、鍛練あるのみ。

ということです。

これだけ聞くと、ちょっと疲れてしまいそうですが、剣豪と呼ばれ、無敗の男が、努力を怠らなかったと聞くと、何か謙虚な姿勢に聞こえますが、その実情は少し違います。

これは、その道のプロ、そのものを表している言葉だと思います。

もちろん、一人の人間が何かを目指すとき、そこには目標があって、ゴールがあります。

問題なのは、それを成し遂げたとき。

それで満足するか満足しないかの、単純な意識の差、と言うことができるのかもしれません。

ある一定のラインにまで行くと、ふつうは次の課題が見えてきますよね?
武蔵は、そのことを言っているのです。

物事を真剣にやればやるほど、新しいものを発見できます。その新しいものをさらに懸命に身につけると、もっと新しいことが見えてきます。さらに新しいものを突き詰めると、全体が見えてきます。ようやく全体を把握したと思ったら、まったく予想だにしなかった疑問にぶつかり、今度はそれと対峙します。その最大の疑問を解いたと思ったら、実はまったく別の事象との連携が判明します。その連携を紐解くと、最初に疑問に立ち戻ったりします。そこからさらに。。。。。。

まさに、日々、鍛錬。

物事を突き詰めようと覚えば、必ず、これまで見えていなかったものが見えるようになるものです。

そうならないのなら、「単純に鍛錬が足りない」、「決してお主は到達しておらぬ」、と、武蔵は言っている訳です。

これを「努力」というのは簡単ですが、「単なる努力」か「プロの努力」かは、圧倒的に内容が異なります。

極論、企業はヒト、「人材」が全てとは良く言われるのですが、ゴールの向こう側を見ることができる人材、課題を自分で見つけることができる人材、次のゴールにすぐに走り出すことができる人材、「プロの努力」ができる人材、そういった経営の基盤があることが、最も大切な経営課題なのかもしれませんね。