フリーセルの事業組織に関して 2回目 市場の変遷 前編

投稿者:木村 裕紀

2007/11/12 20:03

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こんばんは

 

フリーセルの事業組織に関して語るにあたり、第2回目のコラムとして私がこういった業界に関わりだした99年くらいから

現在に至るまでの市場の変化に関して記載していきたいと思います。

 

まず前編として私がインターネット業界に入るきっかけとなった90年代後半のお話からSTARTすることにします。

 

99年3月に現JASAQ上場企業株式会社テレウェイヴという会社に入社することから始まりました。

 

当時のテレウェイヴはOA機器の販売会社であり現在のIT総合ソリューションパッケージの会社の前身の時代であり、

今後のインターネット市場の拡大に合わせてソリューション事業部というものが立ち上げられることになりました。

 

その立ち上げから3年程度のところまで私は関わった形となりました。

 

当時のインターネットの市場は今や便利になってしまったので忘れてしまった方も多くいるかと思いますが、

インターネットサービスプロバイダが乱立し、アナログ電話線を繋いで「ぴっぴピー」とかいいながら28,8Kで接続

をするような時代でしたよね。

 

その頃市場では光通信がHITMAILというサービスで月額¥1万の半年契約で中小企業に対して首都圏を中心にドメインの取得のレンタルサーバを営業している状態でした。

 

当時のテレウェイヴではそれに対して月額¥2万の36ヶ月契約で簡易的なHP付きのレンタルサーバを拡販しておりました。

当時私たちは5人チームで月間50契約のノルマで日々3件から4件の顧客訪問をし、必死に半額で契約期間6分の1の

競合会社と行く先々でバッティングしながら1社1社にドメインとHPを売り込み目標を達成し続けていました。

 

その頃のお客様の反応は「インターネットって何?」 「HPって何?」 「ドメインって何?」みたいな状況で、それを説明して受注する私も自宅では28,8Kでインターネット、会社の接続されるPCも数台のみと、、今から8年前くらいとはいえ、隔世の感がありますよね。。

 

NTTドコモがIモードをスタートさせたのもちょうどこの頃でしたね。

 

その頃はある意味日本全体がITバブル手前の市場導入期でインフラの構築・整備の時代という感じでした。

 

何のインフラかと申し上げると、

1、YAHOO、楽天などの現在の巨大メディアの出現から認知されていくポータルサイト競争時代

2、ISPなどの競争による料金引き下げ、INS64⇒128Kでの接続など接続環境の整備とネット人口の増加

3、WEBサイトの立ち上げの加速による企業サイトの増加

4、それに伴うドメイン・レンタルサーバー提供市場の成長

(たしか100MBくらいのWEBサーバが¥5,000から¥50,000くらいしてました。。)

5、ネットでの決済手段が出始め利用者に認知がされてきた

6、バナー広告、メール配信広告などの現在のネット広告の導入サービスが生まれた

7、WEB産業の担い手であるクリエイターなど人材を排出する環境がうまれだした

 

など現在当たり前のようにある企業ドメイン、低価格なレンタルサーバ、ブロードバンド接続、溢れんばかりのWEBサイト、決済手段、ネット広告、ネットメディアなどの多くのもののが、この当時の過当競争・競争激化による低料金化、サービス向上などを繰り返しながら創出されていた時期といえます。

 

ゴールドラッシュ手前(少し前の中国みたいな感じでしょうか、)で多くの市場参加者がいて、先が見えない中での、ビジネスモデルが確立する手前の状態での無謀な先行投資ビジネス、過当競争が多くあり、成功して現在のネット市場を支える

企業が生き残り、多数のいなくなった企業もいるのがこの時期でした。

ポータルの覇権争い、ISPのシェア争い、サーバの料金競争によるシェア争いなどインフラの胴元が争いを繰り広げた

時代だったように思います。

YAHOOJAPAN96年設立⇒創業97年上場

サイバーエージェント98年3月設立⇒2000年上場

楽天市場97年2月設立⇒2000年上場

サイバー・コミュニケーションズ96年6月設立⇒2000年上場

まぐくりっく99年9月設立⇒2000年上場

などなど

設立から非常に短い期間で上場し、現在のメディア、ネット広告などを支える創世記の企業が多く上場をしていきました。

今ではなかなか考えられないことですね。。

 

前編では過去を振り返りつつ、2000年前半くらいまで続いたインフラの構築・整備という日本のネット市場の導入期の概要をシンプルにお伝えしてみました。

 

長文ですがお付き合いいただきありがとうございました。

 

平成19年11月12日  木村 裕紀