【ベトナム現地法人経営秘話】 ベトナム現地法人設立後、初めての社員旅行へ ~ベトナムの歴史の一端に触れるダナン、ホイアン、バナ、フエを巡る旅~

投稿者:小川 悟

2012/08/27 19:13

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本書は、アイデンティティの追求によって文明間の衝突が起こるとしている。このアイデンティティの追求とは、「自分は何者か」を問うことであり、自分という存在の意味を明らかにしようとすることと言いかえられる。それぞれの民族が、自己のアイデンティティを主張し、自分の存在を他者に認めさせようとするとき、異なるアイデンティティを主張する相手とのあいだに対立が生じる。この対立こそが著者の言う「文明の衝突」である。

/『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著、鈴木主悦訳)

 

フリーセルベトナム(以下「FVN」)では、8月11日から14日まで社員旅行に行ってきました。現地法人設立後、初めての社員旅行でした。

 

今回のコラムでは、私の個人的な備忘録も兼ねての内容となりますが、日本企業の職場からはあまり知る機会が少ないと思われる在越日系企業の社員旅行というテーマで書いていきたいと思います。

 

■旅程(メイン)

8月11日

06:20 ホーチミン発 07:30 ダナン着(VietJetAir)

08:30 ダナン、五行山

16:30 ホイアン、旧市街

8月12日

09:00 ダナン、BaNa Hills

14:30 ダナン、ミーケービーチ

8月13日

09:30 フエ、ランコービーチ

15:00 フエ、阮(グエン)朝王宮

8月14日

12:50 ダナン発 14:05 ホーチミン着(Jetstar Pacific Airlines)


※その他の写真は、FVNのFacebook公式ページにまとめてアップしました。よろしければご覧下さい。

https://www.facebook.com/freesale.vietnam/

 

FVNのスタッフは、8月11日早朝にタンソンニャット国際空港の国際線ターミナルに集合しました。前日、別のイベントで酒の席があり、4時起床がなかなかきつかったです(汗)。

ベトナムでは、社員旅行には家族や恋人も一緒に来るケースが多いようです。FVNは今回スタッフだけの参加としましたが、早朝にも関わらず空港まで見送りに来られていて、家族や恋人を大切にする国民性なのだなと実感しました。

 

ベトナム中部、ダナン国際空港までは1時間強、あっという間でした。私を含め、スタッフのほとんどがダナンへ行くのは初めてということで大変楽しみにしていたようでした。

 

機内から見たダナン

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到着後、軽い朝食を済ませ、一路ホイアンへ。

途中、五行山に立ち寄りました。朱印船の時代(16世紀末から17世紀初頭の日本で他国と積極的に海外交易をおこなっていた時代)には海からの目印になったとか。大理石をはじめとした原石が多く採れる場所のようで、麓のお土産屋さんには大小様々な石細工が売られていました。

五行山は、その名の通り古代中国の五行説に倣った万物を構成する五種類の元素――、金、木、水、火、土の名を冠した小さな山が連なった総称です。私たち一行はその中の一つ、水山を登りました。

途中、一部崖のようになった険しい部分を登り展望台を超え、山腹にある洞窟に入りました。そこには仏像があります。頭上に空いた穴から陽光が差し込み大変神秘的な空間ですが、ここはベトナム戦争時に米軍による爆撃で出来た縦穴でした。

 

山腹にある洞窟に安置された仏像

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ダナンや後述のフエは、ベトナム戦争の際、米軍は第二次世界大戦のときの3倍の火薬量を用いたと伝えられ激戦地区だったと言われています。

今日の静寂さの中に、当時の悲惨な戦禍の傷跡を垣間見ることは、余所者であり「戦後」世代の私たちにとっては難しいことだとも思いましたが、歴史は連続的なものであり、当然ながら現在は、過去と未来とを繋げているものであると同時に感じもしました。

 

cf.ベトナム戦争後初の協力=枯れ葉剤浄化-米、関係改善急ぐ(「時事ドットコム」,2012年8月9日)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012080900832&rel=y&g=int

 

ホイアンに到着後、旧市街へと出掛けました。

ホイアンの古い町並みは大変静かで、時間がゆっくりと流れているような空間で、何とも言えない郷愁を感じさせる美しい町並みでした。

 

1999年に世界遺産に登録されたホイアンの古い町並み

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朱印船の時代には、日本人町もあって最盛期には1000人以上の日本人が住んでいたと言われ、近郊には「日本人の墓」があります。私たちは訪れていませんが小さなもののようです。しかし、意味合い的には大変象徴的なものでもあると思いますし、実際ベトナムの歴史を解説した本や、小説・紀行エッセイのモチーフとしてもしばしば登場します。

静かで小さな町の西の方には、「来遠橋(日本橋)」という小さな橋が架かっています。


2万ドン札の絵柄にも使用されている「来遠橋(日本橋)」

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当時の日本人が作ったものと言われていますが、徳川家光が鎖国令を発布して日本人の大半が帰国すると、その後、移り住んだ中国人によって廟のようなものが立てられ、あまり日本的な雰囲気は踏襲されてはいないように感じられました。この橋は、ベトナムの通貨の2万ドン札の絵柄にも使用されています。

 

 

2日目、私たちはBaNa Hillsに向かいました。

ダナン市バナ山の山頂と麓を繋ぐロープウェイで有名な観光地です。2009年3月に、それまでの距離が延長され、現在の全長約5km、高低差1.3kmという2つの世界ギネスを保有するロープウェイが完成しました。

 

バナ山の山頂と麓を高速で運ぶロープウェイ

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山頂にはアミューズメントパークがあります。元々はフランス人の別荘地として開拓されたところで、来年はフランス祭りのようなイベントが企画されているようでした。

 

 

昼食を挟んで、ダナンを代表するミーケービーチへ。

 

美しい白砂が永遠と続くロングビーチ

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ノンヌォックビーチから続く長いビーチ沿いには、Hyatt Regency Danang Resort and Spaや、InterContinental Danang Sun Peninsula Resortといった有名ホテルがひときわ目を引きますが、逆に言うとあとはほぼ未開拓の更地状態でした。

私たちはここで海水浴とバーベキュー(ビーチにあるお店が、魚介類を調理して持ってきてくれる)を楽しみました。長いビーチには私たち以外に誰もおらず、プライベートビーチのようでした。

 

 

3日目、私たちは、かつて阮(グェン)朝時代(1802年~1945年)に都だったフエへと向かいました。

戦時中に重要な役割を果たしたハイヴァン峠、そして、2005年に日本のODAにより開通した、東南アジア最長約6.3kmのトンネルを抜けて、眼下に拡がった美しいビーチ――、ランコービーチに立ち寄りました。

 

Lang Co Beach(ランコービーチ)

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ミーケービーチも人気がなく静かでしたが、こちらは一層静かでした。ここで海水浴をしたり、休憩を取ったりしました。

 

 

フエ市街に入り、ホテルにチェックインしました。

フエは、先述のベトナム戦争(特に1968年のテト攻勢)の際にダナンとともに最激戦地区となった場所です。沢田教一氏の写真集などに目を通すと、フランス読みで「h」を発音せず「ユエ」とカタカナで書かれています。

 

まず私たちが向かったのは、阮(グエン)朝王宮。ここにある建造物群は、1993年にベトナム初の世界遺産に登録されました。

 

阮朝王宮の前で記念撮影

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日本にある城も歴史に思いを馳せるのに良いのですが、城の中にエレベーターが敷設してあるのに比べ、こちらの王宮跡は良くも悪くも長年修復作業の途中にあるということで、遺跡のような趣きがありました。

 

王宮の中での説明によれば、貴族の階級によって通って良い門が違ったり、会議を聞く場所が違ったり、立つ場所が決められていたり、厳しい階級制度があったことを思わせます。

また、広い敷地内には、幾つもの大型の鼎が置かれています。ガイドさんの説明によれば時の政権の「富と権力の象徴」とのことでしたが、一部に銃痕もあって複雑な思いに駆られます。

 

阮(グエン)朝の終焉(ベトナム八月革命、1945年8月13日)は、日本の「終戦(敗戦)」と連続しています。

1945年9月2日、日本のポツダム宣言調印の日に、ホー・チ・ミン氏は北部をベトナム民主共和国として独立。その後も多くの映画で題材とされましたが、第一次インドシナ戦争やベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)といった冷戦の代償とも言える代理戦争や、中越戦争(cf.ポル・ポト派)等、中国やフランスによる長い植民地化や戦争の歴史を経て、現在のベトナム社会主義共和国になっています。

 

王宮を後にし、ティエンムー寺に向かいました。

 

ティエンムー寺入口から見たHuong川(香川)

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入口の階段の上から、目の前を流れるフォーン川(香川)の静かな流れを見つめながら、ベトナム戦争終結(サイゴン陥落)の年に生まれた私は、この地で昔どんなことがあったのか、伝聞や本でしか知り得ないことですが、ベトナムでビジネスをし生活をすることで、それまでの私よりは(ほんの少しですが)強く感じることができるようになってきたように思いました。

 

社員旅行についての記述は、以上となります。

 

8月も残すところあと僅かとなった今日も、ランチに出ると、建国記念日を前にしたのぼりが道路に等間隔に備え付けられていました。

先に触れた9月2日は、ベトナム建国記念日(ホー・チ・ミン氏が北部を解放、ハノイを首都とするベトナム民主共和国として日仏からの独立を宣言した日)で祝日となっています(今年は2日が日曜日のため、3日は振替休日)。

この日は同時に、日本にとってはポツダム宣言に調印し第二次世界大戦が正式に終結した日、連合国(戦勝国)にとっては対日戦争終結の日となっています。

 

ちなみに、来年2013年は、「日本ベトナム友好年(日本ベトナム外交関係樹立40周年)」となっています。

 

cf.外務省: 日本ベトナム友好年(日本ベトナム外交関係樹立40周年)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/jv40/

 

また、恒例のベトナムフェスティバル2012 Vietnam Festival 2012も来月に迫っています。

 

ホーチミンのタンソンニャット国際空港から国内線を利用して訪れた社員旅行では、観光で日本から訪れるのとは少し違った視点で見えてくるものがあると感じることができました。

 

そして、僭越ながら私が勝手に思っていることとしては、今日本にいて、ベトナムという国自体やビジネスに興味をお持ちの方々に追体験としてのベトナムを感じて頂くこともできたのではないかと考えています。

 

引き続き、今、現実として、日本人としてベトナム現地法人を経営し始めたばかりの身として、最終的に日越双方に貢献できることは何か?を追求しながら自身の使命を全うしていきたいと思います。

 

これから日越関係の進展につれて、ベトナムでの日本業界のビジネス・チャンスが急増することは明らかである。しかし、国際ビジネスは、ビジネスの実務知識だけでは必ずしも順調に進まない。ベトナムでのビジネスに成功するには、ベトナムをじっくり丸ごと知る努力、とりわけ誇り高い文化と血涙の歴史を知る努力が必要である。

/『ベトナムの道 日越貿易の歴史と展望』(中原光信著)