【ベトナム現地法人経営秘話】ベトナム現地法人で体感するHOMEとAWAYの感覚、異文化と言語の壁を乗り越える「ビジョン」の力 ~生産性向上、最大化への取り組み事例(2)~

投稿者:小川 悟

2012/04/22 13:54

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外国語を母国語の語彙に取り込むということは、「その観念を生んだ種族の思想」を(部分的にではあれ)採り入れることです。

/『寝ながら学べる構造主義』(内田樹著)

 

※ベトナム現地法人設立後は私の主な活動拠点がベトナムに移るため、視点が変わることで無意識にコラムの内容にも反映されることが考えられるため、読み手との共通認識を考慮してタイトルに「ベトナム現地法人経営秘話」を付記することにしました。

 

前回のコラムでは当社初の海外現地法人「フリーセルベトナム」が設立したタイミングとなり、「号外」として書きましたが、今回は前々回のコラムの続編となります。

 

その間、当社が第12期に入り、東京本社では社員総会が開催され、私もそれに合わせて一時帰国してベトナム現地法人設立のお知らせと今後のビジョンについて発表をおこなってきました。各部門からの報告やビジョン発表を受け、改めて今期もより一層成長できるように頑張っていきたいと考えておりますのでどうぞ宜しくお願い致します。

さて、前々回のコラムでは「コンテクストのズレ」をなくす努力が重要だと書きました。今回はさらに一歩踏み込んで、その手前の「意識(考え方)」の部分について書くことになると思います。

 

『世界で成功するビジネスセンス(篠崎正芳著)』にも書かれていますが、「海外諸国は一般的に低コンテクスト(Low Context)の行動文化です」とあり、つまり日本の「暗黙の了解」や「阿吽の呼吸」は通じにくいということで、誤解なく意思疎通をしたり、ビジョン共有や仕事の指示を行うために要する時間は、日本人同士のときと比べ「日本語なら三倍、通訳を介せば六倍、英語なら九倍からスタート」と書かれています。

もちろん国自体や、他のスタッフたちの経験などによって差はあると思いますが、私個人の体感で言えば、設立当初、ただでさえほぼ残業がなく就業時間が短い中、1日があっという間に終わってしまう感覚に襲われ、これは私が新しい環境に移り新鮮な気持ちでいるからだというより私の業務の進め方が非効率なのではないか?と不安になったほどでした。それだけ意思疎通や相互認識の確認に時間を取られていたということなのかもしれません。

当然これをいつまでも引きずっていたのでは改善も向上もありません。先人たちが既に採ってきた改善策も無数にあると思いますが、それらについてはまた別の機会に触れることにして、今回はまず、タイトルにも書いた「HOMEとAWAY」の感覚について書きたいと思います。
ここで私が言う「HOMEとAWAY」の意味ですが、日本の本社スタッフから見ると私自身は「AWAY」で仕事をしているとなります。しかし、私が見ているベトナム人スタッフからすればベトナムがHOMEであり、日本がAWAYになります。

私自身はどう思っているかと言えば、まだ正式にベトナム赴任して数か月しか経っておらず中途半端な立ち位置です。正直に心境を述べれば、本来は生きられることのないパラレルワールド(平行世界)の中に生きている感覚があって、人生を2倍楽しめているような気持ちでおり、少なくとも今の時期は個人的にはワクワクしてしまっております(汗)。

先に書いた「HOMEとAWAY」の感覚ですが、文章に書くと当たり前のように思えますが、当社も初の海外拠点ということで不慣れな部分もあり、まだ私の感覚からすると本質的に理解するまでは至っていないような感覚もあります。

以前本社で、私の見るCS本部内への落とし込みの内容に、縦割り組織にしないために「他部署理解」というキーワードを用いたことがありました。

管理者からすればどうしても自部署を推進する気持ちが強くなるため、他部署を本質理解することにフィルタ(偏見)がかかる場合があります。推進力は重要ですが、私はバランス感覚も重要だと考えていました。そのために「全体観を持つ」、「Jobローテーションを行う」といったことも進めてきました。そうすることでより質の高い、力強い「推進力」が得られると考えていました。

頭での理解や口頭では「私たちはお客様と当社のベネフィットのために仕事をする」と言っていても、つい顧客不在の開発・改善に走ってしまったり、ふと気が付けば某工場の生産ラインように「完成品が何になるか」を知らないままに制作業務をおこなってしまう状態に陥いることには常に注意を配り、周囲が牽制を掛け合っていく必要があると考えています。

私が今置かれている状況は、日本人駐在員は私1名ですが、10名近くのスタッフの内、日本語を話せるスタッフが3名います。私もこれから語学勉強を始める必要性があることは差し置いても、社内にいて仕事を回すだけならそれほど苦労しません。ベトナム国内の法律に照らしたり、国内企業とのコミュニケーションを図る際に異文化受容と言語の壁に当たります。

それらに対する免疫が少なく乗り越える力が不足している内は、「日本では○○なのに」という言葉がつい口に出てしまいます。現地化と標準化移転の狭間で揺れる心境ですが、今の私がまさにその状態です。まだまだ小規模な組織なので管理職層のスタッフはいません。これほど自責の感覚を研ぎ澄ますのに好都合な職場はありません(笑)。

では、具体的にどういった点で、本質理解にフィルタ(偏見)がかかるのかという点について、まずは例を挙げたいと思います。

 

ハッとさせられたのは、英文のパンフレットに記されていたひとつの単語を眼にしたときだった。その中に「ヴェトナム戦争中」とあるはずのところに「アメリカ戦争中」とあったのだ。よく考えてみれば、ヴェトナムの人々にとってあの戦争は「ヴェトナム戦争」などではなかった。少なくとも北ヴェトナムとヴェトナム解放戦線にとっては、アメリカとの戦争、つまり「アメリカ戦争」だったのだ。

/『一号線を北上せよ ヴェトナム街道編』(沢木耕太郎著)

私たちや諸外国が「ベトナム戦争(Vietnam War)」と呼ぶ戦争も、ベトナム人からすれば、ベトナムにおける歴史上の戦争はすべて「ベトナム戦争」となってしまいます。スタッフに聞いたところ、ベトナム人同士の会話では「アメリカ戦争」(「Chiến tranh chống Mỹ」等)を用いるということでした。意識していないと、ベトナム人に対して私たちは「私はベトナム戦争について勉強してきました」などと言ってしまいそうです。

他にも似たような事例があります。

「肩が凝る」という身体的生理的現象は、日本語を使う人の身体にしか生じないという医療人類学上の興味深い研究があります。(小林昌廣「肩凝り考」)
(中略)英語にはもちろん「肩」ということばがあり、「凝る」ということばもあります。しかし英語話者は「私はこわばった肩を持つ」という言い方をしません。日本人が「肩が凝る」のとだいたい同じ身体的な痛みを彼らは「背中が痛む」I have a pain on the backと言うのです。

/『寝ながら学べる構造主義』(内田樹著)

真偽は別としてこれらの構造上の差異、考え方や気付きには、日本の「内側」にいる内はなかなか感じない感覚だと思いました。日本の「外側」から日本を俯瞰すると言うと大仰な感じがしますが、今の私は立場上ではベトナムを「HOME」とするものの、どちらにも属していないような感覚に陥ります。それだけに、今後生産性を向上、最大化させていくためには、両者間で「互いの概念にないものを努めて相互理解しようとする気持ち」が重要だと感じました。

ましてベトナム人は、個人的には日本人に近い国民性があるように感じる部分も多いです。もしかしたら、国民性は違うのだけど、今までの日本のODAや進出企業が教育によって根付かせた考え方が一部の人に浸透しているためにそのように感じるだけかもしれませんが、そうした多くの変数によって「今の私にとってのベトナム」が映っていることは事実でしょう。それから日本のやり方や考え方が全て正しいわけでもなく、少なくとも国自体や組織のフェーズによって柔軟に変えていく必要はあると感じました。とにかく、今のベトナムは日々進化していっているようにも見えますし、私自身も今後いろいろな境遇に置かれ様々な経験をしていくことになるので、都度見え方は変わってくると思いますが、本質的な部分(「互いの概念にないものを努めて相互理解しようとする気持ち」)はブレてはいけないと感じました。

ただ、考えてみれば、この高コンテクストと低コンテクストとのズレによる行き違いは、何も高い低いの話や日本とベトナムとの関係だけでなく、男女間や上司と部下との関係(構造)などでもゴマンと語られてきた話ですね。

「これだからゆとり世代は――」、「バブル世代、あるいは就職氷河期を経験した上司は――」と決めつけて他責にすることで回避できる責任もあるのでしょうが、重要なことはそれらの差異に気付くことでもなく、責任を回避することでもなく、どうやってそれらの事実を踏まえて各自が結果(全体の利益)に繋げていくか、そして良い結果を出すまでの時間(スピード)です。いくら良い結果を生み出しても期限を過ぎて(市場機会を失って)しまったら価値はありません。

小さな話ですが取り急ぎ私は、スタッフとのランチの機会を設けました。普段のランチでも席を共にしてローカルフードの弁当を食べることもありますが、それとは別に定期的に2、3人でローテーションでランチに行くのです。

それを続けていく内、先述してきた日本の内側からの視点・発想――、すなわち、それまで「ベトナム人」と一括りで考えていた考え方はすぐに払拭され、「○○くん、○○さんは、こういう性格で、こんなことを志向している」ということが面白いくらいにすぐに見えてきます。手間はかかりますが、スタートアップ期に簡単にできる行動ではないでしょうか。

 

また、関連した話題で言えば、「ベトナム人」は報連相が下手だと言われますが、何度も繰り返しランチに行く内に、すぐに報連相に近い行動を取るようになってきました。個人的にはあまり「日本人」との違いを感じていません。もしも「国籍」で括れる話なのであれば、日本で報連相が新卒の研修メニューからとっくに外されていてもおかしくない筈です。

数十年前のベトナムはそういうこともあったのかもしれませんが、少なくとも今現在私が目の当りにしている「ベトナム」では、報連相のスキルに限らず、ほぼ全てのケースにおいて「国(籍)」に依るのではなく「人」に依っているのだと改めて再認識しました。

以上のことは、彼らが憧憬している「Made in Japan」、期待している日本の先進型マネジメントを提供するための最低限の行動の一つにすぎませんが、私が何を考えどのように判断・行動しようとも、ビジネスは常に有限の時間の中での勝負なので、特に経験がそれほど豊富なわけではない私がどんなに焦っても足りることはないと思っています。

今のベトナム人スタッフが、日本人である私や日系(外資系)企業である当社に付いてきてくれているのは、まだまだ少なくとも「私」に対してではないと考えています。先にも触れた、ODAをおこなってきた日本という国に対する印象、先人たち(進出企業)が築いてきた信頼、憧憬する「Made in Japan」――、そういったものに付いてきているのだと考え、異文化や言語の壁を乗り越えて自分自身の行動と結果で信頼を築き、影響力を持っていくしか発展の道はありません。ここを勘違いすると、入口からつまづく可能性しか見えません。

以上、どちらかというと自戒を込めた内容になってしまいましたが、これから進出をご検討されている企業様のご参考の一つにでもなれば幸いです。

 

「これから」を良くしていくのは「私」次第という話――、ということで今回のコラムを終えたいと思います。

もし、この国を人間にたとえるなら、江戸時代の日本は引きこもりのオタクだった。「坂の上の雲」の時代は、新たな人間として生まれ変わり、健気な少年のそれであった。高度成長期は血気盛んな青年にたとえられよう。そして、いまは、ちょっとくたびれた中年か、魅力的で頼りになる壮年になるかの分かれ道にある。

/『本当はスゴい国?ダメな国?日本の通信簿』(八幡和郎著)