「コンテクストのズレ」をなくし、ベクトルを合わせる ~生産性向上、最大化への取り組み事例(1)~

投稿者:小川 悟

2012/02/13 10:43

この記事は約13分で読むことができます。

人間にはそれぞれ、多様な出自や価値観があって同じ言葉を使っていても同じ意味で使っているとは限らない。合意を形成するためには、インプット(感じ方)はバラバラでもいいのだけれど、アウトプット(表現)は統一しなければいけない。

/『コミュニケーション力を引き出す: 演劇ワークショップのすすめ』(平田オリザ著)

 

1月に一旦は決定となった政府の自殺対策強化月間のキャッチフレーズ「あなたもGKB47宣言!」が各方面からの批判を受け、「あなたもゲートキーパー宣言」に改められたというニュースがありました。このネーミングの是非については敢えて触れないことにさせて頂きたいですが、初めて文字を見かけた際は、正直政府発案のものだと思わず、まして自殺対策強化月間のキャッチフレーズだとは記事を詳しく読むまで気付かなかったということだけ感想を述べたいと思います。

 

これにより、ポスター25万枚の刷り直しで300万円の損失が出たとのことですが、細かいことまで言えば、決定までにかかる諸々のコスト等も含めると実態としてムダはもっとあったことでしょう。実際に大切なご家族や知人を亡くされたご遺族の方や知人の方々が不愉快になられるのはもちろんのこと、日本の家計が苦しいときでもあり強く反感を持たれた方も多いのではないでしょうか。

多くの識者が議論を重ねても、こういったネーミングが会議を通過してしまい、いざ公の場に出るまで違和感に気付かない。認知バイアスの格好の例だと感じたニュースでした。

今回のコラムでは、上記のニュースに着想して、商品やサービスのネーミング、部署名や社内ツール等の社内呼称命名のタイミングで、過去に私が感じた生産性向上との関係性や、生じたトラブル、その過程でCS本部内に某部署が誕生し今に至ることとなった経緯について思い出しながら、個人的な見解を書いてみることに致します。

 

 

私はCS(Customer Satisfaction)本部の担当役員をしていますが、いわゆる一般企業で言う広報業務をしばらくの間兼務していました。

現在でこそ正社員210名程の規模となった当社ですが、私が入社したばかりの頃は、まだマンションの一室を借りて5,6名で各自がいろんな仕事を兼任しながら回していた会社でした。

入社したばかりだった私も、お客様向けにWebサイトを制作したり、ビデオカメラを持ってインタビューに行ったり、以前提供していたEC事業ではYahoo!ショッピングストアの店舗運営をしたり、小規模の社内LANを構築しにお客様のオフィスにお伺いしたり、その延長で、“リレーションシップ”をお客様以外にも拡大して、自社のニュースリリース発行やメルマガ配信、Web社内報の企画・配信、商標取得の仕事などもやらせてもらっていました。

 

社会に対する当社の影響力が今よりもはるかに小さかった当時でさえも、ニュースリリースを発行するときには大変な緊張感を覚えていました。

学生時代と社会人になってからの3年半ほど広告代理店に派遣スタッフとして働いていたこともあり、かねてから企業の広告宣伝業務や広報業務に興味があり私自身が希望してやりたい仕事ではありましたが、未経験の仕事でもあり、社内に教えてくれる人もおらず、「やりたいのにうまくできない」というジレンマを抱えていたことを思い出します。

後々、当時の当社にしては高い講習費を会社に出してもらって広報業務に携わる人向けのセミナーに通わせてもらい、他社のプレスリリースの過去事例共有や、ゲストスピーカーで講師を務められた、過去実際に社会的に大きなニュースとなって記者会見で猛烈なバッシングを受けられた現役の大手メーカーの広報責任者による体験談を含めたご講演、新聞記事の読み方(取材先企業の広報担当者が事実を明確に話したのか憶測で話したのかを記事の文末表現から読み取るコツ等)といった座学をはじめ、自社紹介時の発声を実践練習したり、実際に民放キー局に行って収録スタジオや音響・照明装置の説明を受けたり、美術部門の見学までを体験し、関連書籍も十数冊読んで何とか感覚を掴んでいったように記憶しています。

 

ニュースリリース(プレスリリース)はある程度紋切り型の要素があるとはいえ、自分の書いた文章が会社を代表して世の中に出る以上、いい加減なものを書きたくないという気持ちが強く、少しのストレスになっていたことを思い返します。媒体社さんから取材依頼を受けた際、良い関係を構築したいので正直にすべてを話したかったし、持てるデータは全て提供したい。しかし、そういったデータも限られているし、話したことは全て書かれてしまっても文句は言えない、まして無償の記事広告(フリーパブリシティ)となれば掲載内容の確認ができないまま公にリリースされてしまう場合もあるため、自身の発言が重要になってきます。

 

社長の方針とズレていないか、テーマやターゲットが明確になり、商品・サービス特性は客観的に分かりやすく説明されているか、データの引用や造語についての説明はどのように付記するか、(そもそもテーマとしているものが)コンプライアンスに抵触していたり企業モラル的にはどうか、著作権や商標権を侵害していないか、そして誤字脱字はもとより言葉の誤用がなく適格な言葉選定になっているか、引用元情報の正確性(裏取り)や客観性はどうか(あからさまな自社PR、ポジショントークに終始していないか)等、日本語として稚拙な文章になってはいないだろうか、これらをセルフチェックだけでリリースしなくてはならない重圧というか――、また、実際に取材になるかトラブルが生まれない限り賛否が評価されることもなく、社内で問題にされることもない業務でもありながら、逆に言えばネット上に公開した情報は半永久的に残ると言われているし、そもそもプレスリリースは訂正がきかないという自身にだけ感じるプレッシャーがあって余計に気を揉んでいたものでした。

 

私企業で、とりわけ大きなメーカーさんですと「ネーミング」は商品開発やマーケティング上で非常に重要な意味を持ってくるものですし、今回のキャッチフレーズはどういう経緯で生まれたのだろう、とはそういう意味でも気にはなりました。

 

 

そうして時を経て、2007年頃になると当社もかなりの大所帯となって、現在のCS本部の原型もしっかりと組織構築されてきました。同時に、幸いにもお客様の数が急増し、組織力で対応する必要に迫られてきました。

 

その頃、CS本部内に「ライティング課」(制作部)という部署を創設しました。

月間70~100近くの企業サイトを納品してゆくにあたり、Webサイト内の文章についても専門性を持たせたスタッフに分業で作業をしてもらう方が効率的でありましたし、何より品質が上がり歩留りも改善します。伝言ゲームによる情報劣化とコミュニケーションコストの増加部分について工夫して乗り越えることができれば、きっと顧客満足に繋がると考え立ち上げた部門でした。

 

この「ライティング課」も、お陰様で管理者の松岡が薬事法管理者の資格を取得したり、当社の業容拡大に伴い、課としての職域も拡大してきており、昨年2011年7月には、「ライティング課」改め「コンテンツ編集課」と呼称変更をおこないました。

 

もともとライティング課スタッフに求められていた職能は、当然、文章を書くのが好きとかうまいとかではなく、大前提として取材ができるという基本的なコミュニケーション力があって、他に予備知識として校正知識、SEO(検索エンジン最適化)の知識、DTP(Desktop publishing)との違いを理解しているか、フォント(やタイポグラフィ)、情報デザインやIA(=Information Architecture=情報アーキテクチャ)についての理解、コピーは作れるか、広告についての基本的な知識やIT関連の法令を熟知しているか、そして当社の場合はお客様に歯科医院様が多いため歯科に関してある程度の専門知識があるかといったことが挙げられます。

 

やがてマーケティングについて最低限の素養はあるか、一般的な業界知識や産業構造、市場流通し付加価値を生み出している商品ーー、財(物)・役務(サービス)等のトレンド、また会社経営や消費者心理等へ対する興味心があるか、そして、Webサイトに限らず媒体上の文字や画像、動画等を、いわゆる「コンテンツ」として見ることができるか?といったことが求められるようになっていきました。

 

この場合「コンテンツ」を「メッセージ」に置き換えても良いかもしれません。ディレクターと多少かぶる部分もありますが、例えば「この文章分かりにくいね、もっとコンパクトにまとめるといいのに」といった話だけで終始するのではなく、「この文章ってそもそもここに必要?」とか「もっと余白が欲しいよね」とか、「自分がこの記事を書くのだったらドロップキャップ(先頭文字だけフォントサイズを大きくする)で書くよ」とか、「この文章って明らかに紙からのコピペだよね、Webに転載するならデザインもDTPレイアウトにするとか工夫が欲しい」とか、「“納品までの流れ”を説明するコンテンツなんだから文字だけで説明するのではなくフレームワークを用いるべきだ」といった判断や議論ができるライターであって欲しいという意味合いを含めています。

 

つまり、文章を書くことが仕事とは言っても、当然ながら原稿を提供して下さるお客様は、正しい日本語でリライトしてほしいと思って私たちに原稿を出してくれているのではないという見地からスタートすべきですし、「取材した内容に忠実に正しい日本語で、あるいは情景描写豊かに豊富な語彙で文章を書ける」ことだけが仕事に求められているわけではないという話ですね。

 

そうした思いも込めて今回の呼称変更をおこないましたが、「名は体を表す」という言葉もありますし、当初はチームのメンバーにこの思いの本質や、部門の目指すべきビジョンがぶれないだろうかといった懸念がありました。しかし、こうした私の心配をよそに、スタッフからの評判や理解は良く、各自が一層自身の職域を拡げようとしてくれているのが伝わり、結果からすると良かったと思っています。

 

一般企業にとっての商品名はもちろんでしょうが、部署名やチーム名は会社や部門の方向性を示し、お客様への提供価値にも関わるものですので、私たちとしては慎重になります。

 

cf.「USP(Unique Selling Proposition)」を創る ~社員総会と内定式、「ゆとり第一世代」を迎えて~(2009年10月12日)

http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2009/10/post-41.html

私たちの仕事の中で、大きなところで言えば新たに部課、チームが創設されるとき、新商品導入時、新規プロジェクト、部内の教育制度まで含め、この「ネーミング」は強く意識しています。

 

上記以降に書いた内容をご参照下さい。

 

本文冒頭に、劇作家の平田オリザ氏の著書から一部を引用しました。

政治活動に関与されていたこともある方ですが、ここでは劇作家や演出家、講演家としての側面にスポットを当ててみたいと思います。

 

劇作家・演出家ですので、当然役者を束ねて一つの世界観を構築し、観客に提供するというのが仕事です。これを拡大解釈すれば、ビジネス上にも「役割演技(ロール・プレイング)」という言葉もあるくらいですし、当社のような私企業の組織でも一部該当する要素もあります。

 

例えばですが、「華やかに演じる」というだけの指示があって、登場する役者が皆、同じ表現ができるでしょうか。人によって「華やかに」の印象(Impression)が異なることで、それに対する表現(Expression)が異なってしまうと、舞台進行はバラバラになり、観ている人からすれば「?」となってしまいます。

観客も含めて舞台ですから、演じている側の独りよがりになってしまったら本末転倒ですね。こうした役者間の共通感覚のズレのことを演劇界では「コンテクスト(文脈)のズレ」と呼んでいるそうです。広義で言えばコミュニケーションに括られるようにも思いますので、演出家の仕事にはコミュニケーションデザインも含まれるということになりましょうか。

 

 

確かに私たちの仕事でも思い当ることは多いです。私たちも以前に大きな失敗をしましたが、お恥ずかしながら分かりやすい話ですので例に出します。

お客様から作業依頼を受けたスタッフが「今日中に対応します」とお答えしたことがありました。軽作業だったので二つ返事に返答したのでしょうが、作業が完了しスタッフがお客様に連絡を入れたのは19時近い時間でした。しかし、そのお客様は、その会社の定時であった17時半で既に退社されていたのです。翌日「御社の“今日中”とは23時59分までを言うのですか」と苦言を頂戴し、私たちは大いに反省することになったのでした。このとき私は「顧客目線の欠如」とはまさにこのことだと痛感しました。それ以来、依頼を受けた際の完了予想時間帯は時刻を明確にするように、コンタクトセンターの社内ポリシーに加えました。

 

その際の当社スタッフとお客様との間で「今日中」の解釈が異なっていたのです。同じ言葉ですが、人によって捉え方や意味が違います。そこまで気遣えるか?ということですが、常にお客様の目線で捉え、考えることである程度は気付くことができますね。私たち自身がもっと努力を重ねなくてはなりませんが、お客様に育てられた部分は大きいです。

同じように先の部署名の呼称変更についても「コンテクスト」を意識していました。今ではWeb業界において「コンテンツ」という言葉に一定の意味が持たれ、理解がされやすくなっているとは思いますが、当社の当事者部門以外のスタッフ間でも理解が得られるかといったことが課題でした。

 

こうした意思伝達、コミュニケーションというものは、当然「コンテンツ編集課」だけでなく、当社ではWebサイトのプロデューサーとしての立ち位置になる営業や、Webディレクター、クリエイター、お客様対応をおこなうコンタクトセンターのスタッフなど全員に求められてくる能力です。「コンテクストのズレ」はコミュニケーションを形成する一端ではありますが、意識して仕事をするだけでもコミュニケーションが大分スムーズにいくようになると感じています。

 

 

次回のコラムではこの話の続きとして、現在私がベトナム・ホーチミンに駐在し、語学力の拙い私が現地のベトナム人とコミュニケーションをしていく中で感じていることを書きたいと思います。

最後になりますが、2009年に私が初めて出張でベトナムを訪れた際のコラムは以下となります。

■ベトナムIT企業視察等で感じた、多様性の受容と異文化コミュニケーションの重要性 ~ “ビジネスマン” 白洲次郎の「プリンシプル」を貫く生き方を目指せ~(2009年2月28日)

http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2009/02/post-26.html

まだいろいろ現場を体験する前に、私なりに感じた、多様性の受容(Diversity and Inclusion)や異文化コミュニケーションについて書いたものですが、あれから3年が経ち、実際に当事者になって感じることに変化もありますので、是非現地から、生の声をお伝えできればと思います。