マーシャル・マクルーハン生誕百年、「メディアはメッセージである」 ~4月、当社第11期スタート、当社公式サイトスマートフォン対応化完了~

投稿者:小川 悟

2011/04/10 21:03

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「ニュースはテレビの視聴者にとっては自動的に現実世界となる。それは現実と置き換わるのではなくそれ自体が直接的現実なのだ」ということになる。換言すれば「私たちは私たちがメディア(テレビであれインターネットであれ)を通じて見た(認識し、知覚した)そのものになる」ということだ。

/『マクルーハン 生誕100年、メディア(論)の可能性を問う』~『メディアの理解(メディア論―人間の拡張の諸相),有馬哲夫氏』(河出書房新社)

当社は4月1日から第11期に突入致しました。新たな経営テーマ、ゴールビジョンの元、年間の行動計画を立て、各部門各自がやる気に満ち溢れる時期となりました。

 

当社では早速、4月1日、当社公式サイト群(公式サイト、新卒採用サイト、中途採用サイト)のモバイル向けサイトをリニューアル致しました。

リニューアルに際しては、当社子会社の株式会社ファインズが提供する、携帯Flashサイト構築システムSUNNYを導入致しました。

 

■ガラケー(フィーチャーフォン)Ver.の表示画面

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■スマートフォンVer.の表示画面

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※以下QRコードをバーコードリーダーで読み取り頂くか、URLをメールで転送してアクセスして下さい。

URL: http://m.freesale.co.jp/

■QRコード

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cf.iPhone,Andoroid機種向け、QRコード読み取りオススメ無料アプリ

アドレス交換 Lite 【iPhone/iPod用】

QRコードスキャナー 【Andoroid機種用】

※QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標です。

 

ガラケーVer.は「SUNNY」の特徴であるFlashコンテンツを活用することで、コンテンツ量の多いケータイサイトにありがちな縦長スクロールのストレスがないUI(User Interface)にし、スマホVer.はフリック操作時のストレスを最小限に抑えるために、画面サイズに適したナビゲーションアイコンを設置、直感的な操作で目的のコンテンツへ到達しやすくなるよう「使いやすさ」に配慮した設計を意識しました。いずれも、通信速度を考慮した浅い階層構造を心掛けました。

 

昨今のマルチデバイス時代、TwitterやFacebook、mixiやGREE、Ameba等の人気SNS、ネットサービスのスマホ対応化もどんどんと進んでおり、中小・ベンチャー企業、店舗様のコーポレートサイトにおきましても、よりシームレスな各種サービス間のページ遷移が、今後ますます求められてくることになると考えられます。今後とも当社提供のWebサイト、ファインズ提供のSUNNYをどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

さて、今回は第11期一本目のコラムとして、先のように、当社公式サイトのリニューアルをお知らせさせて頂きました。

今年2011年は、『メディア論』などで有名な、マーシャル・マクルーハンの生誕100年の年だそうです。マクルーハンは、私たちが通常「メディア」と称する際に「内容(コンテンツ)」そのものを言うことが多いと思いますが、マクルーハンはメディアそのものが情報を持った「内容」であるというようなことを主張しました。

昨今のように、PCやガラケーはもとより、iPhoneやiPad、デジタル・サイネージ、電子書籍リーダーなど、情報をアウトプットする”スクリーン”は多種多様となった、まさに「マルチデバイス時代」、また、先月のコラムでも触れましたが、中東の革命や、震災時の緊急連絡手段として、各種SNSや最新ネットサービスが活用されたりされるなど、折しも今年はマクルーハン生誕100年ということで、「メディア」「マクルーハン」について一般の関心が高まりそうな予感がしています。

 

 

期初のコラムとして、話を続けたいと思います。

東日本大震災から明日で1か月――、まだまだ未曽有の災害が残した爪痕は各地に残り、復興に向けて取り組まれている方の心労も絶えない時期かと思います。大変な時代ではありますが、一歩一歩、復興に向けて皆で取り組んでいければと考えております。

今日10日は統一地方選挙の投開票日であり、私も足を運んで参りました。今、社会的関心の高い被災地の復興、原発措置を含めた災害対策についてはもちろんのこと、そもそもの課題であった経済政策などに改めて当事者意識を持って対峙してゆく意味もありました。

 

昨今のニュースで、福島第一原発の電源喪失事故について「想定外」としていた過去の認識に甘さがあったという保安院・安全委からの発表があって、いわゆる「原発の安全神話」が大きく揺らぎ、反原発・脱原発のムードが高まっているところも見受けられます。過去、反原発を歌ったロック・ミュージシャンたちの映像などは、動画共有サイトで再生回数が今もどんどんと伸びていっています。

冷静になって考えてみると、なぜ日本のような地震大国、かつ国土の狭い国にあって、(建設中・計画中のものも含め)アメリカに次いで世界第2位の原発保有国となったのか。震災の特番などを見ていると、何やら、製造業の生産性と電力量との間に相関関係もあるといったことが説明されたりもして、日本の高度経済成長期に「多くの電力が必要になっていった経緯」があったことを想像させられます。今までそんなことは考えたこともありませんでしたが、確かに疑問に感じました。

 

今までの経緯や背景を窺い知るために、堺屋太一氏がオイルショック発生から2年後の75年に執筆された”予測小説”、『団塊の世代』を思い出して目を通してみました。本書は四話の短編小説の構成で、一話目が80年代前半、二話目が80年代後半、三話目が90年代中葉、四話目が00年の世界を想定し、主人公も舞台も独立した内容ながら、主人公が皆「団塊の世代」という共通項で統一された断章形式による未来予測小説という体裁になっている作品でした。

 

ここでは第四話「民族の秋」を引用してみます。

一九七〇年代の中頃から、欧米諸国は石油に替るエネルギー源の開発・利用に全力を上げた。全ての国々が、乱暴に思えるほどの勢いで原子力発電所を増設し、石炭の利用を拡大した。太陽熱や地熱、海洋エネルギー、風力エネルギーを利用する技術の開発にも、巨大な資金と多数の人材を投入して来た。だが、日本はそれに立ち遅れてしまったのだ。

理由はいろいろあった。(中略)最大の要因は、国民の間にエネルギーに対する危機感が乏しかったことだ。あるいは、国民大衆に対して、納得のいく説明を十分にしなかった関係者の努力と技倆の不足に責任があったのかも知れない。日本では、エネルギー問題の重要性を説く論調よりも、原子力発電所や石炭公害の危険を主張する論評の方が、はるかにマスコミに受けていたのである。

/『団塊の世代』(堺屋太一著)

念のため改めて断っておきますと、上記はあくまでも「予測小説」であって、「現実を描いた小説」ではありません。著書が75年に00年の日本、あるいは団塊の世代が活躍、悩むビジネスシーンを想像して書いた小説で、本文もその一節です。それでも、当時のムードを窺い知る材料にはなりました。

 

なるほど、確かにマスメディアにおいては――、これはかつて、このコラム(cf.「タイトルだけでクリックさせる ~タイトルの”修辞学”~」)の中でも触れたように、タイトル、もしくは記事の見出しは重要です。――私たちの業界では活用されるケースはそこまで多くはないですが、「フィア・アピール」はマーケティング、あるいは特定業種の販売手法では常套手段の一つではあるし、昨今「放射能がくる」とか某誌の見出しが問題になったりしたこともあったかと思いますが、「読んでおかないと身が危険になりますよ」とでも言わんばかりの打ち出し方のメディアは多く散見されるような気もします。

 

関連して言えば、他にも改めて今、未来予測として読むべき本があるとすれば、アルビン・トフラーのものなどでしょうか。

 

cf.未来学者アルビン・トフラーが予測する今後の40年を左右する「40の変化」(「ダイヤモンド・オンライン」,2010年12月29日)

http://diamond.jp/articles/-/10609

 

私の世代ではこうした過去の経緯は同時代人として実感が少なかったですが、これらを読む限り生活者は、目にするメディアによって多分の影響を受けてきていたことが今さらながら痛感します。確かに、日本が世界に誇る科学技術についての功績や抱えている諸問題よりも、起こった事故や政治家の汚職・失脚などのニュースの方が印象深く残っています。

 

また、太陽光発電についても、「チャレンジ25」、「チーム・マイナス6%」の頃から、ドイツの成功事例を横目に日本は国土が狭いし余計にコストもかかるため難しいといった議論がありましたが、直近は世論として自然エネルギーに傾倒してゆく可能性も考えられそうです。「原発(そのもの)が危険」という科学技術に対する不信というよりも、管理する側がリスクを予見しきれない、トラブルを対処しきれないということしか生活者には映らないだろうからです。もっと考えを巡らせると生活者は、エネルギー政策(国内供給はもとより、世界に対する技術提供含め)そのものよりも、脱原発に関心が高まっているということが想像できます。

そうなった際に難しいのは、どのように必要なエネルギーを調達するかということでしょうね。生活者の目からは、オール電化の家に住まなくてもやっていける、パチンコ店のネオンは過剰過ぎではないか?と生活者なりの節電に対する意識はそれはそれで重要かと思うのですが、企業の事情となると別で考えなくてはならなそうですね。

当社も本社では多くの企業様同様に節電を心掛けています。インターネット、Web業界で働く私たちにとって、電力は主に照明やPCの電源 となり、一番の留意点はサーバを止めないということになると思いますが、企業によっては、例えば半導体製造など「電気」そのものが生産性に関わるという ところも多いと思います。週刊ダイヤモンドの最新号の特集も「電力喪失」でしたが、今後の政府や電力会社の方針決定は、国民の安全を大きく左右することはもとより、日本経済復興にも繋がる意思決定となってくるでしょう。中長期的視点で見ても貴重な電力ですし、本質的な復興のためにも、こういった対策も同時に進めて頂きたいですね。

 

他にも、夜道が暗いという不便もあります。不便なだけでなく、実際に物騒な事件もニュースで散見され、治安面においても今までコンビニや店舗の看板などのありがたみを知ることになりました。

余談となりますが、学生時代に「(歴史の中の)照明」(象徴として、あるいはマクルーハン的に言えば「メディア」として)に興味を持った時期があって読んだ本がありました。『闇をひらく光 19世紀における照明の歴史』というものですが、以下に一部引用したいと思います。

ランタンは秩序を具現するものだったので、そこに加えられた攻撃は、いかなるものであれ、秩序へのささやかな反抗を意味した。したがってそれ相応の罰が与えられた。パリでは、街灯破壊が秩序違反(con-travention aux ordonnances)ではなく、刑事上の犯罪行為、それもほとんど不敬罪として扱われた。

/『闇をひらく光 19世紀における照明の歴史』(ヴォルフガング・シヴェルブシュ著,小川さくえ訳)

つまり、照明(光)の社会的役割として、単に周囲を照らすというだけでなく、防犯上の意味合いが、近代的な「照明」が発明されてすぐに生じていたということを示していると感じたものでした。何を節電して、何を節電しないのか、その辺の判断も難しいところであると感じました。

 

先述した保安院・安全委からの発表に先立ち、3月末、昨年の事業仕分けでひっそりと国の管理から外れたサービスがありました。私もこのコラムでかつて採り上げたことのある、科学技術振興機構の「失敗知識データベース」がそれです。

 

cf.失敗体験を通して創造力を生み出すために ~アポロ月面着陸40年、世界天文年2009~

http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2009/05/post-31.html

 

「失敗知識データベース」は2005年から運営されており、過去の失敗事例をデータベース化し、同じ失敗を繰り返さないように体系化してまとめられていたものでした。今では、失敗学会理事長を務められている畑村洋太郎氏の主宰する畑村創造工学研究所の管理下に移されています。

この中の「電力・ガス」のカテゴリの中に、過去の原発関連の事故も収められています。

 

cf.「失敗知識データベース」失敗事例 「電力・ガス」

http://www.sozogaku.com/fkd/lis/cat007.html

 

今回の「想定外」の事故と全く同様のケースはないので、仮にこれを畑村氏の提唱する失敗のヒエラルキーの中で「未知への遭遇」に分類するにしても、国の管理下から離れたとはいえ、是非、今稼働中の他の全ての原発を含め、同じ失敗は当然のこととして、想定されるリスクを繰り返さない対策をとって欲しいと願うばかりです。

 

最後になりますが、私たち一企業人として節電に対する意識など、もちろん局所的に最重要な問題ではありますが、中長期的に見ると、まだまだ考えなくてはいけないことは多いなと感じたことを表すために、先の『団塊の世代』(第四話「民族の秋」)後半の、主人公たちの会話部のみを引用してみます。

「僕らはむしろ責任者だと思いますよ。あの高度成長時代、いやそれに続く七〇年代・八〇年代の、まだまだ日本に力があった頃を無為無策に過して来たことの……」

「無為無策だったかね……」

「そうですよ。だから今、僕たちはエネルギー問題や財政問題で苦労してるんじゃないですか」

「先のことを考えないで、福祉だとかレジャーだとかで民族のバイタリティーをことごとくその日の消費に使ってしまった責任世代なんですよ」

「民族のバイタリティーというのは、時代の産物ですからねえ……」

「そうですよ。日本民族の春と夏は短かったんですよ」

「そうか、今は民族の秋か……」

<冬の準備を急がねばならん……>

/『団塊の世代』(堺屋太一著)

――となるのですが、今を生きる私たちは、まさに歴史の真っただ中にいるのであって、過去のことや、上の世代に責任転嫁していても何の解決も生まないということを感じました。

 

これはそのまま、私たちの仕事にも当てはまりそうです。後々どのような問題を孕んでいるのか、勝っているときだからこそ、潜在的に秘めているリスクも意識しつつ、今期はより一層、皆が当事者意識を強く持って、飛躍できる期にしていきたいと思います。

長くなりましたが、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。