吉田 亮(Webマーケティング部長)
5,000サイトを超える制作実績を誇るWebディレクターの総指揮官
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5,000サイトを超える制作実績を誇るWebディレクター陣を総括指揮。マーケティングの基礎となる3C・4P・SWOT分析はもちろん、ユーザービリティ、ユーザーシナリオのために人間工学を取り入れ、ヒアリングから要件定義、情報設計までを行える専門シート「Web戦略カルテ」を開発。あらゆる角度から、あらゆる企業に、斬新かつ最適なプロモーションサイトを提供している。
WebディレクションWebマーケティング
『ジョブス氏、辞任。』
そんな文字が紙面に躍った昨今。
この世界で知らない人はいないであろうApple社のCEOが
病気療養のため辞任という形をとりました。
どうなるApple?というところも、非常に心配しつつも興味があるのですが、
プロモーション力、はともかく、
今のAppleのコンセプトは、そう簡単に揺らぐものでもないでしょう。
Simple is best.
個人的には、デザイン美よりも機能美を重視する方ですが、
最近のAppleの製品は、
『こうしたら、たぶんこうなる』
というのを、実に的確に体現している気がします。
タッチパネルという手法は昔からけっこう好きなのですが、
如何せん、店頭販売で置かれていた端末達の反応は、
自分の感覚とはほど遠く、操作に確実性が乏しいのであればと、
なかなか手を出さずにいました。
手を出したのは、
『iphone4』の『予想通りのレスポンス』に出会ったときです。
10数年も付き合ってきた携帯を、一瞬で切り替えてしまいました。
ついでと言っては何ですが、
先日、ノートパソコンも買い替えの時期であったので、
私物だったこともあり、単純なノリで『Mac Book Air』にしてみました。
本当はタッチパネルのiPadが良かったのですが、
Officeはどうしても必要で、ここはタッチパネルを諦めた訳です。
iphoneにしたのすら最近で、それまで一切、
Appleの製品を使ったことはなかった訳ですが。
ここ数か月で、
予想だにしなかった弊害に出会うことになりました。
Windowsのノートパソコンが、まともに使えなくなってしまったのです。
デスクトップの方は、
業務的にはまだまだWindowsの方が使いやすいですが、
ノートになると、どうしても、
本能的に指が『Mac Book Air』の動作をしてしまうのです。
お客様先や取引先の前でこれをやると、微妙な空気が流れます。
例えば、
・スクロール=2本指で下に流す。
・Webページを戻す=3本指で横に流す。
・デスクトップを表示=4本指で下に流す
・使用中のアプリを表示=4本指で上に流す
『Mac Book Air』はタッチパネルではないのですが、
特にこのあたりは、説明書を読んだ訳でもなく、
当たり前のように直感で動かしていたので、
クセのように出てしまうようになりました。
『Macに慣れた』、というのはおそらく正解ではなく、
本来、ずっと自分の操作イメージはこうだった、
のだと思います。
そこを焦点にしたのは、さすがだなと。
Appleのデザインやコンセプトが好きな方もいれば、
Windowsの汎用性と拡張性を好む方もいるでしょうが、
直感、というものに限れば、
個人によってそれほど差異が出るものでもないと思います。
最も早く、行動の根拠になるもの。
それは確実に自分の感覚、つまり直感です。
これはプロモーションにも同じことが言えますが、
懸命にマニュアルを読まなければ使いこなせないような商品やサービスは、
徐々に淘汰されていく気がします。
原点回帰と言いますか、一周したと言いますか、
最近、技術力の向かうべきところが、少し見えたような気がするのです。
私としては、
使いやすくてストレスがなければ、どちらでもいい話であり、
そこに信念みたいなものはありません。
とはいえ、こういったツールやインフラの変遷を、
Web屋として考えない訳にはいきません。
Webは、外部環境に大きく左右されるものです。
『インフラに左右される』、と言っても過言ではないでしょう。
その昔、回線速度の問題から、Webに動画を組み込む、というのは、
非常に手間がかかるものでした。
動画のファイルは『激重』で『超遅く』、
パソコンをそのままフリーズさせることなど当たり前でした。
それが今や、ファイルの圧縮技術と光回線の普及により、
さほどの苦労もなく、多くの家庭で見られるようになり、
立派にWebの1コンテンツになっています。
スマートフォンが台頭すれば、
もちろん新しいサービスも無数に生まれるのですが、
現在のWebサイトも、それで見れるようになる必要が出てきます。
今の流れを考えると、タッチパネルの技術も各社で進んでおり、
そのうち、端末のほとんどが、
直感系のタッチパネルや、より現実を超えたホログラムなどに入れ替わったとき、
Webサイトの構造自体が変わる、のはもはや必然ですので、
私たちは、そこまで予測しておかなければなりません。
Webサイトが『クリックするもの』から『タッチするもの』になる、
(もしかしたら、それはもうWebと呼ばれていないかもしれませんが)、
とすると、根本的にWebの構造を考え直す必要が出てきます。
そして次には、『タッチ』よりも、さらに直感に近づく道があり、
『思考』そのものでの動作、思考連動型の商品が・・・・
脱線しそうですのでこれくらいにしておきたいと思いますが、
Web自体がそうであったように、
ひとつのコンセプトが、世界を変えることは稀ではありません。
伝統や既成概念をぶち破って、ひとつの商品・サービスが、
過去を全て塗りつぶすほどの圧倒的な威力を持つ。
それがまた、周囲にあったあらゆるものを変化させる。
こんなことが頻繁に起こるのはWebの世界くらいですので、
本当に面白い業界にいるもんだと、しみじみしながらも、
直感的な操作でこの記事を書いています。
でも、やっぱりキーボードだけは、まだまだ直感的ではないんですよね。。。。
『あのお客様、更新してくれたんだ!!』
「過去」と呼称される概念があまり好きではない私は、
ふだんから、夢がない後ろは振り向かないタチなのですが、
ふと先日。
思いがけず、ある場面で、記憶の走馬灯状態に陥りました。
私も当社に参加してから数年が経ちますが、
直接私がディレクションを担当したお客様のご契約が、
続々と満期を迎えるタイミングになってきています。
このタイミングで、サイトをリニューアルされる方もいれば、
別のサービスに移行する方もいらっしゃいます。
配属当初は、
まだWebと呼ばれるものが成熟しているとは言い難い市場の中で、
「ディレクション」という言葉すら知らず、
そもそもパソコンを扱うこ とすらままならず、
とにかく必死に知識を取り入れながら、走りながら、考えながら、
客先で上司に置き去りにされながら(しかも2回)、
1秒でも早く「IT業 界」に馴染もうとしていたような気がします。
・・・などという回想はこれくらいにしておきまして。
ある場面とは、
数年前に、自分が担当していたお客様のご契約が更新され、
Webサイトをフルリニューアルすることになり、
現在のWebマーケティング課のメンバーが
新しい担当としてディレクションを始めた
場面です。
当時の自分よりも、遥かに精度高く。
それはすごく普通のことかもしれませんし、
当然のことなのですが、
何故かふと、郷愁のようなものを感じました。
現場第一主義の私でありますが、
特に最近は、
なかなか最前線で誰よりも多くディレクションをこなす、
という訳にはいきません。
そんな中で、
仕事の仕方だったり、考え方のポイントだったり、使用すべきツールだったりを、
共有してきた課のメンバーが、
当時の自分と同じように、
お客様の業態のことを考え、どうすれば結果に結びつくのかデータを収集し、
構成を考え、構造を考え、デザインを考え、サイトを形作っていく。。。。
引き継がれていた"モノ"。
そのときに浮かんだキャッチコピー(?)がこれです。
当時のお客様に、会社として、
現在くらいの提案やサポートが行えていたかというと、
否と言わざるを得ません。
当時では精一杯だったと思いますが、
到らぬ点は、やはり多くあったはずです。
ご不満な部分も、ご不安な部分も、
お客様には、きっとたくさんあったと思うのです。
それでも、お客様は、
再度、新しくご契約を決断してくれました。
何ひとつの信用も信頼も期待もなければ、
さすがにご契約は継続していただけないでしょう。
何がお客様に伝わっていたのか、
それは確かめられずにいますが、
当時も、コンタクトセンターが開設してからの運営時も、
みんなが必死にやっていたことだけは、
少しでも伝わっていたのかなと思います。
それを汲みとっていただいたことに感謝すると同時に、
そういったお客様のお手伝いを、現在の自分の課のメンバーが、
お客様のことを考えながら一生懸命やっている。。。。
(つながってるんだなぁ・・・)
と、恥ずかしくも、そんな風にシミジミしてしまった訳です。
できれば、
現在のパフォーマンスまで達した自らが、
今できる最高のディレクションで
新たなサイト制作のお手伝いをしたいところだったのですが、
しっかりと引き継がれていることも確認できたので、
ちょっと口を挟んだくらいで、安心して任せることができました。
なんというか、こう・・・あまり上手く言えないのですが、
仕事は、
時に重荷で、時に孤独で、時に懊悩の種となり、
自分以外の人間にはこの苦しみは絶対にわかるまい!
などと平気で思ったりするものなのですが、
それでもやっぱり、
『誰かのために』
するもので、
それがつながっていくのが、一番いいカタチなのではないかと、
そんな風に思えた場面でした。
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『もっと視野を広げるんだ!』
上司の方は、必ず部下の方にこの台詞を叫びます。
もうこれは、100%の確率と言っても良いでしょう。
でも部下の方は、「視野を広げるってどういうこと!?」と必ず思います。
もはやこれも、100%の確率と言って良いでしょう。
部下を持つ身となる「リーダー」には、この要素は確実に必要です。それは私も間違いなくそう思います。見える範囲が狭ければ、管理などできる訳がありませんから。
しかし、この「視野を広げる」という行為、意外と説明も実行も難しいのです。
「今、目の前にあることだけじゃなくて、その先を見るんだ、これから先、もっと上に行きたいのなら、自分の影響範囲だけじゃなく、自分と関わっている人間がどう動いているのか、前工程と後工程で何が変わるのか、何に困っているのか、柔軟に察知する必要が出てくる、俯瞰の意識を持つと、景色が変わって見えるぞ」
・・・説明されるときは、こんな感じでしょうか。
(なんとなく、なんとなくはわかるんですけど、わかったような。。。わからないような。。。)
すごく簡単に言うと、「視野を広げる」とは、
『自分の世界を広げる』
ということに非常に近い行為と言えます。
何故なら、自分以外の人間の行動を把握、予測することが、リーダーとしての「視野を広げる」だからです。
こう考えると、そのやり方はけっこう簡単に出てきます。
自分の世界を広げるためには、自分の知らない世界に行けばいいだけですから。
自分は良く、「趣味は仕事」と言ってしまう方ですが、それはまぁ、姿勢の問題であって、実際、仕事だけしてるかというと、そんなワケはありません。さすがに仕事だけしてたら死んでしまいます。
まったく意識していた訳ではないのですが、私は幼少の頃より、友人の趣味を知ると、とりあえずそれをやってみる、ということを繰り返してきました。単純に好奇心だけで動いていた、と言うこともできますが。
おかげ様で、異常に多趣味です。
読書もしますし、漫画も読みますし、絵も描きます。
ギャンブル的なモノもこなしますし、何故かクラシックギターも弾きますし、ガスガン(?)の手入れもします。
やたらと腕時計とジッポライターをコレクトしてます。
所有している辞書は医学書から生物学、各国の言語、謎の辞典も数点あります(正直、読んではいませんが!)
最大音量のipodをつなげてドライブ旅行にも行きます。
音楽業界の友人と飲んだり、捜査一課の友人と飲んだりもします。
読む本に特定のジャンルはありません。全ジャンル、読みます(特にサスペンスミステリーを好んではいますが)。
聴く音楽にも特定のジャンルはありません。全ジャンル、聴きます。
旅行先にこだわりもありません、何処にでも行きます。
最近は運動不足ですので、ちょっとドラマで見かけた「スカッシュ」とか「クライミング」とか、ちょっと「大人のスポーツ」的なものでもやってみようかと思ってます。
当然、そこには、その趣味を好きな方がいて、その人の話が聞けますよね?色んなことをやってみる、というのも大切なのですが、より意味が深くなるのは、その場所にいる人と話してみる、ということです。確実に、そのときの自分が知らない話をしてくれます。
振り返ってみなくても、こういった行動や趣味から得た考え方とか発想ってのは、かなりあります。
簡単に言うと、判断基準。
ひとつの物事を判断するときに、ひとつの引き出しから引っ張り出した答えに自信は持てません。間違ってたら代替案も出ないワケです。
でも、その引き出しが100個あるなら、それだけ判断は速くなるし、正確さを増します。その答えに自信も増します。間違っても次があります。
自分だけなら100個しか集められないかもしれないけど、他の人との話を聞けば、単純に2倍、3倍になるワケです。
300個の引き出しから弾き出すときの答えって、ほとんど迷ってないと思います。
これを俗に「脳内マーケティング」と言います。
脳内データを元に、結論を出す。
つまりこれは、想定可能な「パターン」を知っているからこそ、目の前の事象に対して答えが出せる、ということになります。
そういう基盤は、黙っていて出来上がるものではありません。
目の前にある出来事をただ見過ごすか、そこに意味があると感じるかは自由ですが、ちょっとだけ踏み込むと、思わぬところで役に立ちます(自分では気付きにくい、という点がネックではありますが)。
もちろん、リーダーシップの理論そのものを学んだり、実際にできている人の行動や意見を参考にしたりするのは、非常に大切ですし、それに意味がないなんてことは有り得ません。
その学習の基礎となるものは、実は日常生活で十分に得られる、ということです。
自分の世界を広げるための、つまりは視野を広げるための、脳内マーケティングのサンプルはそこらじゅうに転がっていますので、それを蓄積するのは誰にでもできるはず。
相手の行動が読めない、と悩んでいる方は、是非お試しください。
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『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』
佐々木小次郎との巌流島の決戦、鞘を投げ捨てた小次郎を見て、「小次郎、破れたり!」の台詞で有名な宮本武蔵が『五輪の書』に残した言葉です。
宮本武蔵は、もちろん剣豪として有名ですが、ビジネス的には兵法家としての方が優れていたように書かれることが多いですね。
「勝てない相手とはそもそも闘わない」などはその最たるものです。
一見、臆病者と呼ばれてしまいそうですが、勇気と無謀はまったく別のものでしょう。真に「剣豪」なら、自分より強い相手と闘ってほしいところですが、「兵法家」なら、勝てない戦をわざわざするのは愚の骨頂です。
そんな60戦無敗の宮本武蔵が、残したこの言葉は、ものすごく簡潔に言うと、
日々、鍛練あるのみ。
ということです。
これだけ聞くと、ちょっと疲れてしまいそうですが、剣豪と呼ばれ、無敗の男が、努力を怠らなかったと聞くと、何か謙虚な姿勢に聞こえますが、その実情は少し違います。
これは、その道のプロ、そのものを表している言葉だと思います。
もちろん、一人の人間が何かを目指すとき、そこには目標があって、ゴールがあります。
問題なのは、それを成し遂げたとき。
それで満足するか、満足しないかの、単純な意識の差、と言うことができるのかもしれません。
ある一定のラインにまで行くと、ふつうは次の課題が見えてきますよね?
武蔵は、そのことを言っているのです。
物事を真剣にやればやるほど、新しいものを発見できます。その新しいものをさらに懸命に身につけると、もっと新しいことが見えてきます。さらに新しいものを突き詰めると、全体が見えてきます。ようやく全体を把握したと思ったら、まったく予想だにしなかった疑問にぶつかり、今度はそれと対峙します。その最大の疑問を解いたと思ったら、実はまったく別の事象との連携が判明します。その連携を紐解くと、最初に疑問に立ち戻ったりします。そこからさらに。。。。。。
まさに、日々、鍛錬。
物事を突き詰めようと覚えば、必ず、これまで見えていなかったものが見えるようになるものです。
そうならないのなら、「単純に鍛錬が足りない」、「決してお主は到達しておらぬ」、と、武蔵は言っている訳です。
これを「努力」というのは簡単ですが、「単なる努力」か「プロの努力」かは、圧倒的に内容が異なります。
極論、企業はヒト、「人材」が全てとは良く言われるのですが、ゴールの向こう側を見ることができる人材、課題を自分で見つけることができる人材、次のゴールにすぐに走り出すことができる人材、「プロの努力」ができる人材、そういった経営の基盤があることが、最も大切な経営課題なのかもしれませんね。
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『考えて行動しろ』
この言葉は、私がマネジメントするときに、幾度となく繰り返す言葉です。
前回も少し触れましたが、この「考える」ことに対して、頷きや戸惑いのご意見をいただいたので、私の考える、「考える」を少しご紹介できればと思います。
「仕事」に必要な力は、たくさんあります。
ちょうど今、私の上司である小川もコラムで触れているフリーセル大学では、
「ヒアリング」
「リーディング」
「スピーキング」
「ライティング」
などを基礎に、ビジネススキルを強化しているところですが、この基礎力の全てに、「考える」力は必要です。
当たり前の話ではありますが、「考える」ことがなければ、どのようなスキルも身に付きません。
この「考える」という行動は、簡単なようでいて、意外と難しかったりします。
いきなり「もっと考えるように」と言われても、そう簡単に考えられるものではありません。何故なら、その時点で考えていないはずはなく、少なくとも「考えて」出した結果であるので、結局、それ以上「考える」ことはできないからです。
何故か。
改めて「考えるための」材料がないからです。
たいていは、その時点でアイデアもロジックも使い果たしてしまっているのです。
つまり、「考える力」は、実際には頭の使い方とか、論理力といった「考える」能力そのものではなく、材料不足が起因していると言えるのです。
『我々が習慣を作り、習慣が我々を作る』
という格言がありますが、これはまさに言い得て妙であり、真実です。
「考える力」を養うためには、「考える」ことを習慣化することが必要です。
これは日常生活の中で、いつでも、何処でも、練習することが可能です。
「考える力 養成講座」に通う必要も、「ザ・トレーニング "考える力" 編」を読む必要もありません。
この「考える」世界への入り方がまったくわからない方は、まず、最初に、テーマを決めてみましょう。
例えばディレクターなら、「広告」そのものに着目してもいいですし、「色」とか「レイアウト」とか「構造」といった漠然としたものでも構いません。
要は、世の中に溢れているもので練習するのが一番良いということです。
それに、片っ端から理由をつけていきます。
本当の理由が気になるのなら後で調べればいいだけです。そのときに大切なのは、必ず、自分なりの結論を導き出すことです。
「電気量販店のパソコンフロアーの入口付近とレジ前に、やたらとブランクCDがあるのは、忘れがちで、かつ、ついでに買う人が多いからに違いない。しかし、売上につながり利益率が高いのはパソコン本体そのものではないだろうか。そこだけ考えると一番売りたいものを一番目立つ場所に置くべきだと思えるが、出口に近いことを考えると、防犯的な部分も含まれているのかもしれない、単純に移動させやすいもの、在庫の余りやすいものは店内のレイアウトには含めず、可動式にしている可能性もある、その総合的な判断だろうか。。。。」
とか、
「自動販売機の取り出し口は、どうしてこんなに低いんだろう?ジュースもお釣りも取りにくくて仕方ない。いや、これは構造上、ユーザビリティを犠牲にするしかなかったと言えるのではないか。それなりの本数を内部に確保し、低コストで構造を単純にするためには、商品や釣銭を重力を利用して吐き出すのが一番に違いない・・・いや待てよ、中段くらいに取り出し口がある自販機も見たことがある。そうなるとビジネスモデルとしては、地域性も考慮する必要が。。。」
などなど。
意識さえして、ふと焦点を合わせ、理由を考えることができれば、実際、なんでもいいんです。
これらが「考える力」の引き出しになります。
その引き出しが、「考える力」の源泉になっていくのです。
セミナーや参考書だと、「行くぞ」「やるぞ」と決めなければならないため、すぐに縁遠くなってしまうことも少なくありません。習慣化するには時間がかかるでしょう。
だから、日々の中で、何の気なしにできる程度で構わないと思います。その方が、圧倒的に長続きしますので。
大切なのは、習慣化するまで続けることです。
習慣とはつまり、無意識の世界です。
わざわざ「考える」などと思わなくなった状態、それが本当に「考える力」がついたときかもしれません。
いつもの駅までの道のり、いつもの駅のホーム、いつもの電車の中・・・・・・
本当にいつもと同じ・・・ですか?
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『優れた芸術家は真似(まね)、偉大な芸術家は盗む』
青の時代、キュビズム、ゲルニカと、あらゆる画法を「時代」と呼ばれてしまうくらい、「画家」と言われて名前が出てこないことはない、パブロ・ピカソの言葉です。
ピカソと言えば、フルネームが、
「パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダードルイス・イ・ピカソ」
という長い名前を持っていることでも有名です。いえ、まったく今回の話には関係ないのですが、偉大な人は、何か強烈なエピソードがあるものだと、常に思う訳です。
その偉大なる芸術家、ひとつの創造主であると思われる偉人が、「真似る」「盗む」と言い切っているところは非常に興味深いと言えます。
どのような人間でも、最初は「真似る」ことから始めます。
それは人間の本能です。
例えば、「あくび」。
良く「あくびがうつる」と言いますが、実際に「あくび」は「うつる」、感染する、とほぼ実証されています。これは生物として、本能的に「模倣」である、との説があります。特に人間はコミュニケーション必須の中で生きていますので、「真似る」ことが、ひとつの防衛本能として働いている、とも言われています。だったら全ての行動がそうじゃないか、くしゃみはうつらない、あくびだけうつるのはおかしい、という反論はともかく、「真似る」ことは、生活の中で普通に行われるものです。
当然、これはビジネスにも通じます。
「あくび」のように簡単に真似ることはできませんが、仕事をするとき、誰かの「真似」から始めるのは、近道の一つであることは間違いありません。
独自路線で進んでいるつもりでも、上司やライバルを基準や目標にして進むことは通常のことですし、決して卑怯な訳ではありません。
ピカソはまず、それを言っているのです。
優れた者は、迷わず「真似る」。
それが一番の近道だと知っているから。
しかし次に、そこで終わるか終わらないかは、「盗めるか」にかかっています。
やりかたを真似たら、それを自分のものにする。
それが「盗む」です。
自分のものにしてしまえば、盗んだものはさらに研磨されます。
それは決して、「真似て」いるだけでは起こらない現象です。
目標を超えるためには、対象と同じことをしていても不可能なのは自明の理です。
このあたりは意識の問題とも言えますが、「真似る」ときに、如何に自分の血肉にしようとするか、方法を探り、それ以上の方法がないのか、考えなければ「盗み」は起こりません。
つまりこれは、考えて行動しているかどうか。
そんな風に思えるのです。
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『今日、成し得ることに全力を注げ。さすれば、闇の中に一条の光が見えるだろう』
万有引力の発見者であり、古典力学(ニュートン力学)の創始者である、アイザック・ニュートンの言葉です。
いわゆる、リンゴが木から落ちるのを見て・・・というエピソードで有名な方ですが、その真偽は定かではありません。というよりも、そもそもニュートンは「モノが落ちる=重力」を発見した訳ではなく、モノが落ちる「力」と、太陽系が運行している「力」が同じものである、つまりはそれが万有引力である、という提唱をしたところが偉大なので、エピソード的にはかなりあやしいと言えます。
科学者や研究者、開発者は、「結果」を出すまでに時間がかかります。しかもそれは、必ず出る「結果」とは言えません。
まず「仮説」を立てて、それを「検証」し、「結果」を出す。
仮説通りにいかなければ、それは「失敗」です。
仮説通りに行けば、当然「成功」です。
それはもうどちらかしかないのですが、何通りものパターンを試し、その中で可能性を探っていく。それを何度も何度も繰り返していくうちに。。。普通の人間であれば、へこたれるでしょう。
「あらゆる方法を試しても、答えが出ないかもしれない」
「この仮説はそもそも違うかもしれない」
それは至極、普通の感情だと思います。
ノーベル賞などもそうですが、ひとつの研究に15年間を費やしていることなど不思議ではありません。
15年間かけて、ひとつの結果を出す。
15年間かけないと、証明できない。
それほど気の長くない私には、考えただけでも気が遠くなる話です。
人間は感情を持っているので、ちょっとしたことで苦しんだり、身体の調子が悪くなったり、ふさぎ込んだりするものです。そして自分が悪いと思ったり、これ以上やっても成長しないんじゃないかと思ったり、仕事上で自分の未来が見えなくなることは、少なからずあるでしょう。
科学者でなくても、一般的な社会人であれば、この苦悩を持たないことの方が不思議です。
ただそれを、単純に「感情の問題なんで、気持ちで割り切れ」というのもなかなか難しい話です。
こういう「手詰まった感」があるときにできることは、実はほとんどありません。
自分の能力を呪ってみても、それで能力が上がる訳ではありませんし、どれだけ未来を嘆いてみても、嘆いた分だけ未来が変わる、なんてことは絶対的に有り得ません。
そのときにできることは、
目の前の仕事、今日、その日にできることに、全力でぶち当たることです。それ以外の方法で問題が解決する糸口をつかむことはほぼできません。
「それを今までやってきたんだ。それで問題が解決するはずがない。」
まったくもってそのとおりなのですが、他にやれることがないなら同じことでもあります。
先が真っ暗が何も見えないなら、少なくとも見えている部分に全力を注ぐ。
このときに重要なのは、「それまでと同じ」であったはならない、という点です。余計なことを考えられないくらい、一心不乱に全力で打ち込むことです。
本当に全力で目の前の仕事に当たった場合、それまでとは違う「波」が生まれます。その波は、新たなアイデアや手法を生む足がかりへとなるはずです。それが成功への道か、失敗への道かは、問題ではありません。
それまで真っ暗だったところに、少しだけ光が差せば、そちらの方向に、少しだけ進むことができる。
それが科学者、アイザック・ニュートンの言葉の真意なのだと思います。
私は、苦悩することも大切だと思っています。迷い自体に非効率を感じている訳ではありません。迷うことは考えることなので、次の行動に少なからず影響するはずだからです。
ずっと同じ場所にいるよりは、まずは進む方法を見つけ、「失敗」という結果でも手に入れるべきだと考えています。
それで成功への選択肢が絞られるのであれば、その失敗は、やっぱり成功のモトなんだと。。。。。。そんな風に考えるのです。
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『マネジメントの基本はコミュニケーションにある、とは言いますが。。。』
先日、CMS商材やディレクションに関しての共有のために福岡に出張してきました。
福岡は初めてだったのですが、食べ物がやたらと美味しいことにいたく感動しました。特に塚本課長オススメの「モツ」と「とんこつラーメン」は絶品で。。。。などという個人的な感想は置いておいて、
まず、
文化が違う。
ことに素直に驚きました。
それは地域的な問題ではなく、オフィス内に独自のエッセンスが効いていて、そこはかとなく全体的な流れが違う、といった感じでした。
勿論、顧客層も違えば、市況も違い、それに合わせて組織は動くので、そんなことは当たり前なのですが、その源泉を探ると、単純にそれは、
自分のイメージとの相違
であることに気付きました。
私は、CMS商材をメインで扱っている身のため、各支店からも良く相談を受けます。
システム関係は、認識を間違えるとリスクが高く、結果、クライアントに迷惑をかけてしまうこともあるので、厳しく取り締まっていると言っても過言ではありません。
特に福岡は近年CMSニーズが高く、相談の回数も多かったので、軸ぶれだけはしないよう、本社のチーム全体でサポートに入っていたため、福岡からの報告を受け、ヒアリングをかけ、重要ポイントを伝え、現状から何を動かせばどうなるのか、何をどうすればどう行けるのかなど、電話とメールで、ではありますが、それなりに「コミュニケーション」はとっているつもりでした。ですので、福岡のディレクターの動きは把握しているつもりでした。
しかしそれは、直接福岡オフィスに行った段階で、曇りガラスのコミュニケーションに過ぎないと感じました。
ぼんやりとしか見えず、しかも壊れやすい。。。
例えば、同じ「わからない」でも、電話越しの「わからない」と、目の前で言われる「わからない」は、確実に捉え方が変わるのです。
ここで問題なのは、伝達ツールが「電話」と「メール」だったことではありません。
一番問題だったのは、相手のことをイメージしているつもりでイメージできていなかったことです。
相手の仕事ぶりや姿勢、動きを近くで見て、聞いていると、相手が持つ感覚、ポリシー、反応力、理解力、回転力などは、ある程度の見当がつきます。その見当がついていると、「ある質問」に対しても、どのあたりがわかっていないのかが、大体予測できます。説明ポイントが一気に絞れるのです。
しかし相手が偶像に過ぎないと、「ある質問」に対して、全部答えなければなりません。何故なら、それが「質問」に対する「解答」だからです。実際に伝わっているのかどうかも、いまひとつ不明です。レスポンスに対する推測がまったくできないからです。
何という無駄な時間を過ごしていたのかと、猛省仕切りの福岡帰りの飛行機の中でした。
これは一歩間違えれば、組織が大きくなるにつれて、徐々に徐々に軸ブレしていく原因になりえるな、と危機も感じました。
勿論、当社は総会時に社員全員が集まりますので、福岡のディレクターと会ったことがない、訳ではありません。しかしそれは、顔がわかる、くらいで、相手の内訳を推測するには、遠く及ばぬレベルでした。
優秀なディレクターの揃っている福岡だったので、そこに自分が気付いていなくても仕事はこなしていましたが、ここに無駄と非効率があったことは否めません。
コミュニケーション。
簡単な単語ですが、実に深い。
それは相手のことを推測可能な程度に「イメージ」できる人間関係が前提されます。
相手のことをイメージできるようになるには、最低でも1時間くらいは、同じ場所で同じ時間を過ごす必要があるのではないかと思います。最低でも、です。
そしてこれは、定期的に行わなければなりません。
視えないモノ、を信じるのは難しい作業です。
別に体験をした訳ではないので一概には言えませんが、遠距離恋愛が終わりを告げるときは、相手のことが推測できなくなったとき、だと思います。
そんな懐メロがあったと思いますが、直接会う、のは非常に大事な儀礼なのだと思います。
現場主義のディレクターとして、私が常に思うことは、「クライアントとまったく会わずにサイトが作れるはずがない」ということですが。。。。書いている途中で、渋沢先生のあの言葉を思い出しました。
『信用は実に資本であって、商売繁盛の根底である。』
これは社内にも言えるのだと、改めて渋沢先生の懐の深さを感じにはいられません。
そう言えば、福岡空港では、ベッタベタで申し訳ありませんが、辛口の明太子と、メンバーへのお土産(全部、明太子的なもの)を買いました。
ただこれには理由があって、時間もあまりなく、メンバーへのお土産は直感でしたが、生モノは保管が面倒なので別にいいか、くらいに考えていたのですが、ある店舗のおばちゃんが、甘口明太子と昆布だし明太子と辛口明太子を試食させてくれた上で、「ちゃんと冷却材で挟めば、家に帰るまでは大丈夫だよ」と後押し。
特に質問をした訳でもないのですが、おそらく、長年の経験と、そのときの姿形から、自分が何を望んでいるのか、推測をしたのでしょう。
試食かつ比較販売に加えフォローアップまで。相手を信用させるに十分だと、そんなことも学びました。
教えに行ったつもりが、福岡に学び。
まだまだ修行が足りませんね。
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『自由から生まれる自立の先に在るモノ』
組織で動く時、皆さんは(上司の方も、部下の方も)何を基準にし、何に重きを置いているでしょうか。
藤本のコラムにもあったように、先日、私もリーダーシップ研修に行ってきました。
その中のディスカッションで、入社の同期が、私の管轄にあるチームメンバーのことを「自分から動いてくれるから非常に助かるんだけど、ルール外の動きもするので時々困る」と評す場面がありました。
思わず、自分の打ち出している方針の意外な結果部分に、「なるほど」と頷いてしまったのですが、「自由」と「自立」について、かなり考えさせられる契機になりました。
基本的なチーム長のスタンスとして、私は常に、「自立型の組織へ昇華させる」ことを念頭に置いています。
圧倒的に知識が不足していたり、明らかなる経験不足、チームとしてまとまりがまったくない場合などは、トップダウンで物事を進めますが、これはケースバイケースです。
それでも基本、風潮はかなり自由です。任せます。
基本能力の標準値が高いと判断した場合は、特にそうです。
私が直接に答えを言うことは滅多にありません。
やたらとヒントは出しますが、あくまでもヒントです。気付きにくいヒントもたくさん出します。
答えを出すには、難易度に関係なく、必ず自分で考える必要があるからです。
理屈は単純で、リーダーは勿論、メンバーが自ら考え、自ら行動でき、自ら創造できる組織でなければ、成長が遅く、「リーダーに何かあったとき」、そのチームの動きは極端に落ちます。仮にパフォーマンスが高くても、それだけリスクも高くなります。
同時にこれはメンバーにも言えることで、職責が偏っている場合、「そのメンバーに何かあったとき」、例えリーダーでもその穴を埋めるのは簡単ではありません。
重要なのは、「同じ仕事ができる」ことではないと考えます。個人個人、得意分野も不得意分野もあれば、やり方も違います。
チームの失速を防ぐために必要なことは、穴埋めをする、ことではなく、状況に合わせて臨機応変に考え、動ける、組織であることです。
問題に対するアイデアがひとつしかない場合と、複数ある場合、どちらが「間違う可能性」が低いでしょうか。
自立型の組織は、一人一人がアイデアを持つため、チーム議論が起こります。そこには、研磨された打開策が生まれます。選ばれたアイデアを持つ者が、そのプロジェクトのリーダーになるでしょう。
いつでもリーダーを入れ代われる。
組織が、ひとつの答えだと思っています。
自由を認めなければ、個性に基づく自立性は生まれません。
とは言え、自由を認めたが故に、盗んだバイクで走りだされたり、夜の校舎の窓ガラスを壊して回られても困りますので、ここには一定の、自由が自由であるためのロジックがなければなりません。
ディレクターなら、ある程度わがままであるべきですが、自分が枠外に出たのか出ていないのか、それがわかるくらいの仕組みは必要だと、前述した研修では感じました。
プールのコースロープみたいなものでしょうか。
自由を制限するのではなく、自由の中で、自分の居場所が確認できるもの。
ハミ出すときは、わかってハミ出せ。
ということです。
もちろん、盗んだバイクで走りだしたら、それはもう犯罪です。自由とか、そういう話ではありません。
でも、もし仮に、
「あと10分で友人のところに行かなければ、親友の人生が終わる」
瞬間があったとしましょう。
到底、徒歩では間に合わない、そんな距離だとしたら?
何か策を考えるはずです。
目的のために、手段を考えるはずです。
そして自分の意志でもって行動するはずです。
そこに明確な目的があってこそ、自由は自立を生むと思うのです。
会社で言えば、明確なビジョンと戦略があり、そこに束縛のルールではなく、方向性の見えるルールがあれば、そのチームは自立の源泉を手に入れているはずです。
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『全部で6時間くらいのタスクを終わらせただけなのに、もう18時ってどういうこと!?』
こんな体験をしたことはないでしょうか。
渋谷のオフィスには良くある場面です。
ですが。
タイム・イズ・マネー。
時は金なり。
笑いごとではありません。
9:30に始業として、お昼休みと2回の休憩を挟んだとしても、2時間が何処かに消えてしまったことになります。その消えた時間も「人件費」であることを忘れてはいけません。
原因には幾つかあると思いますが、
1.そもそもスケジュールの組み方を間違えていた
2.単純に緊急的な仕事が入った
3.忙しすぎて、時間間隔がなくなった
4.ひとつの作業予定時間が大幅に超過した
サボっていなければ、だいたい上記のどれかに当てはまってきます。深く追求していけば原因がわかるものに関しては、問題ないと思いますが、ここで着目すべきは、
4.ひとつの作業予定時間が大幅に超過した
これです。
こいつがかなり危険な犯人です。
何故なら、予定時間を超過した理由が、けっこう曖昧になりがちな上に、「時間を読み間違えただけ」と自分解釈で納得してしまうことが多いからです。
本当にそうでしょうか?
例えば、
「お問い合わせのメールに対して、返信用のメールの作成」するタスクがあったとします。
・メールを読む
・内容を把握する
・必要な情報があれば確認する
・返信用のメールを作る
・文面を確認する
・送信ボタンを押す
これだけの作業なのですが、作業工程が途中で変わったらどうでしょうか。
・メールを読む
・内容を把握する
・必要な情報があれば確認する
・返信用のメールを作る
・途中で電話が入る
・書いている途中のものを読み直す
・内容を再確認するために元のメールを読み直す
・追記する
・送信ボタンを押す
途中に電話が入っただけで、それ以外に、作業工程が2つ、追加されてしまいます。
この場合は、
電話に応対した時間だけが増えた訳ではないのです。
これは極端な例ですが、
何枚かの資料を元に提案書を作らなければならない場合など、全てを読むのに30分かけ、いざ、というときに中断されれば、資料は読み直すことになります。これだけで、30分が一瞬にして謎の時間に変わってしまうことがあるのです。
これは、ひとつの作業にかかる時間を読み間違えたのではなく、本来その時間で終わるはずの作業を、中断によってやり直しているために、予定時間を超えた、可能性が高いと言えます。
この、「やり直し」が、実はかなり根の深い、失われた時間を作る犯人です。
インプット作業とアウトプット作業が連動しているような作業、集中力の必要な仕事をいつやるか。
そこを見極めるだけで、失われた時間を取り戻すことができるかもしれません。
勿論、原因がこれに限る訳ではありませんので、不明点があるのであれば、原因を突き止めることが何よりも先決です。本当に失われているはずがありませんので。
私は、個人タスクの他に、緊急的に発生する「電話」や「相談」、「会議」の時間がまったく読めませんので、そもそもスケジュールを組んだりはしません。。。。そんな訳はありませんね。
当然、私もスケジュールは組んでいます。以前、言及したと思いますが、メインは「紙ベース」です。
1本の時間軸に全てのスケジュールを入れたりはしません。1枚の紙面上で、「制作関係」「デスクワーク関係」「会議関係」「連絡関係」でカテゴリ分けをしています。
少し変則的なのが、連絡しなければならない時間が決まっている場合は別ですが、「連絡関係」は時間軸に入れ込んでいません。
何故かと言うと、「短時間では済むけれど集中力の必要な作業」を時間軸に入れ込むと、横槍があった場合、スケジュールが狂いやすいからです。また、時間で縛っていると、それが終わらないと次の作業に入りづらいため、30分程度の作業にですら、後ろめたさを感じることになります。
ですので、連絡関係は「やれるときにやる」方式に切り替えました。カテゴリ分けをしているので漏れたりすることはありません。
スケジュール調整の方法は人それぞれだと思いますが、どうしてもスケジュールの狂いやすい人は、やはり何かしらの工夫をしなければ、改善されることは有り得ません。
自分も、無駄を極限まで削れる方法を、未だ探求中です。
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『何もしないことを恐れよ』
世界のホンダ、本田技研工業(HONDA)の創業者、本田宗一郎は、戦後日本を代表する起業家として、数々の名言を残してきましたが、その中でも端的で現場の真理をついているのが、言葉です。彼自身は、起業家と言うよりも、根っからの技術者といって良いと思いますが、
正確には、
「チャレンジでの失敗を恐れるな、何もしないことを恐れよ」
が全文になります。
失敗を恐れるな、という言い方は良くしますが、「何もしないことを恐れよ」とは、如何にも技術者だなーと感嘆してしまうのですが、日々業務の中では、大いに迷うことが無数にあります。
この道を行っていいのか。この道を行っては本当に危険なのか。
誰でも迷うのは当然ですし、何も考えずに突き進むのを勇気とは言いがたい。
ここで問題になるのは、例え失敗したとしても、自分で責任をとる覚悟を決めるかどうか、が焦点になります。
自分で言い出したからには、最後まで責任をとるのが当たり前の話ですが、その代償を考えないというのもそれはそれで問題です。
失敗。
それが「チャレンジ」に対する恐怖です。
では、チャレンジをせず、そこで傍観したときに感じる恐れとは何なのでしょうか?
毎日が事件のように目まぐるしく、かなりの速度で月日が動いている場合、ふと、あまりにも平和な休日を過ごしてしまうと、ちょっと不安になったりしませんか?自分だけではないはずです(いえ、きっとそうです)。
何もしなくていいんだろうか。。。。
動いていることが当然の人にとっては、立ち止まることは恐怖になったりします(するんです)。
物事全てが、と言っても過言ではありませんが、特に技術の世界では進化は大前提、その進化は目に見えて生活に影響を与えます。勿論、ビジネスの中では綺麗 事ばかりは言えませんが、より進歩した状況に行こうとする意志、好奇心、探究心、知識への渇望は、単純に利益と結びついている訳ではありません。
そこを抉ったのが、この言葉の意味のような気がします。
停止を容認してしまうこと。それはつまり、進化を否定しまうこと。
技術者が進化を否定してしまったら、技術とは何だ、という話になるでしょう。
その意志は、単純にどちら側の人間か、という問いにも似ています。
そもそも恐れる場所が違う、ということなのでしょう。
HONDAは、現場で動く技術者の本田宗一郎と、経営を任されていた(会社の判子を渡されていた)藤沢武夫の二大巨頭で進みました。幾度も経営難に陥り、そのたびにレースに参加して持ち直しました。技術と経営の見事な融合、二人ともが、何もしないことを恐れたからこそ、ここまで来れたのかもしれません。
私は恐れをなくしたいと思ったことはありません。
チャレンジするときは当たり前のように恐れを感じます。しかしまた同時に、立ち止ろうと思ったこともありません。
この道を行ったら危険だ、と判断した場合は、別の道を探します。実は通れる道があったのではないかと、少し戻ってみますし、なければ、何処かに迂回路を作れないかと考えます。何もしなければ、当然、何処にも行けはしないので。
恐れは推進力にもなる。。。。。。そんな風に考えるのです。
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『今、いる場所で、今、自分が持っている力で、今、自分にできることをしろ』
第26代アメリカ合衆国大統領、セオドア・ルーズベルトの言葉です(第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトは彼の従弟にあたります)。経営学的には非常に興味深い発言だと思います。
日露戦争で日本とロシアの調停に入り、その和平交渉を高く評価され、1906年、ノーベル平和賞を受賞している親日派です。ちなみに柔道の茶帯を持っています(アメリカ人初)。強いです。
余談ですが、「テディ・ベア」をご存じでしょうか。
セオドア・ルーズベルトが熊狩りに出かけたとき、気を遣った同行者がルーズベルトに仕留めてもらおうと、瀕死の熊を差し出したところ、「スポーツマンシップに反する」と断りました。
その物語が新聞に掲載されたところ、これが美談かどうかはともかくとして、バーモント州のおもちゃメーカーが、クマのぬいぐるみを作りました。これにセオドア・ルーズベルトの愛称だった「テディ」をとって、「テディ・ベア」が生まれた訳です。
「テディ・ベア」自体、はっきりとした商標を持っていないようですが、バーモント州のおもちゃメーカーが作る「テディ・ベア」が元祖と言うことはできます。このメーカーは、今でもひとつひとつ手作りらしいです。
話を戻しましょう。
彼が残したこの言葉は、ものすごく単純で、ものすごく簡潔で、既に実践していることなのかもしれませんが、それでもここまで割り切ることはなかなか難しいと思います。
何処の業界に限ったことでもなく、「仕事に詰まる」ことは必ずあります。もし仕事に詰まったことがないのであれば、是非お話をお聞かせください。
好調なときは気にもなりませんし、視界にも入らないはずなのですが、不調なときには何故か、「隣の芝生が青く見える現象」が起こります。
つまり、自分のせいではなく、環境のせいにしたい訳です。
ですが、自分の力を最も発揮できる場所は、往々にして、自分が今いる場所です。何故なら、その場所を一番知っているのが自分だからです。だから悩むのです。
大統領の言葉ともなると、その重みは測り知れませんが、彼は、こうも言えたはずです。
『たった一人で、私の理想を実現しろ』
特段、不思議なこともありません、何しろ、大統領ですから。
全力でやる、ということが一番大切です。
良く「信じれば実現する」という言い方をしますが、これには補足が必要です。私も、短絡的な「おまじない」で理想が実現するとは思っていません。
信じていれば、全力を出せる=成功の道へ
信じていなければ、全力は出せない=失敗の道へ
当然と言えば当然の話になる訳です。
全力でない人が、成功をつかみ取る確率は、いったいどれほどでしょうか。
人にはそれぞれ、ポリシーやプライドがあり、その時点で発揮できる能力にも差があります。個人個人が最大限の力を引き出すことができれば、それが理想に最も近い状況であることは間違いがありません。
実は、「理想を実現しろ」と、「自分にできることをしろ」には、大した違いがないのです。
全力を出す意志を引き出す言葉として、ルーズベルトは語ったのではないでしょうか。
「今」、「その時」、「その場所」で、己の全力を出すことができなければ、「いつか」、「何処か」で、全力を出すことなどできるはずがありません。
今、いる場所で、今、自分が持っている力で、今、自分にできることをする。
それはつまり、
自分にしかできないことをする。
のと同義になる。。。そんな風に考えるのです。
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『最も大切なのは、疑問を持ち続けることである。』
相対性理論の生みの親、アルバート・アインシュタインの言葉です。ノーベル物理学賞の受賞者であり、歴史上において最も「天才」という呼称が似合う方かもしれません。アインシュタインは学校での成績はあまり良くなかったと言われています。「先に答えが見えてしまうので、どう解いたか自分でわからなかった」という逸話がありますが、天才、語るに及ばず、といったところでしょうか。
私は経営学科卒ですが文系人間ですので、数学や物理ははっきり言って苦手です。ところが何故か、相対性理論や量子力学、ゲーデルの不完全性原理といった、非常に数学的な書物を、調べ物をしながら読むこともあります。
このあたりを面白いと感じる理由が、「疑問」にあるのだと思います。
数学的な理論や原理は、その字面を見ただけでも難しそうですの、入りにくいというのはあると思いますが、その理論や原理が生まれた発想元は、非常に単純だったりします。
それが「疑問」です。
そのほとんどが、「世界の謎」への体当たりなのです。ひとひらの疑問を解決したいという渇望が、数学者や物理学者にはあるのだと思います。上記のような書物は、意外にも「数式」というのはほとんど出てきません。「数学は哲学」という言葉がありますが、まさにそうなのだと思えます。
勿論、数式に当てはめればアンサーは出ますが、それが本当にアンサーであることに疑問を持った瞬間に、何かが起こる、何かが変わる、のではないでしょうか。
これを経営学的に考えてみましょう。
先に言っておきおますが、おそらく、「答え」はありません。ただ「答えがない」ということに対して、ある種の「答え」は出るはずです(禅問答みたいですね)。
→例えば、「今月の目標」があったとしましょう。
→その目標に対して、計画を立てたとしましょう。
→一ヶ月後、目標を果たすことができました。。。。
ここで何を思い、何を考え、どう動けるかが、ひとつの分かれ道になります。
どのような形の経営であろうと、出たアンサーに対して、納得してしまったら、数式通りの世界です。正解に対して何点かはもらえますが、一回きりのテストでしかないことも事実です。
それはひとつの成功例ではありますが、経営学的に最もやってはいけないことは、「まったく同じことをやり続ける」ことです。更新されないWebサイトが役に立たなくなるのと同じです。
私は、結果に関わらず、月初では、こう思うようにしています。
「何故、もっとできなかったのだろうか?」
疑問とは、常に未来との折衝である。
日々を変化させながら生きている、「生み出せる者」しか疑問は持たない。。。そんな風に考えるのです。
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『愚者は過去を語り、 賢者は現在を語り、 狂者は未来を語る。』
言わずと知れた、フランス革命後に帝政を築くにまで至り、王冠を受けたナポレオン1世、ナポレオン・ボナパルトの言葉です。こよなく「不可能」という言葉を愛さなかったナポレオンは、特に名言が多い歴史人ですが、これはさほど有名な部類ではないかもしれません。
ちなみに、ナポレオンは睡眠時間が4時間を切っていたと特有のエピソードがありますが、IT業界では睡眠時間が3時間を切っても不思議なことなどありません。勉強することが無限にあるからです。Webの世界は未だ革命真っただ中というところでしょうか。
ナポレオンが放ったこの言葉は、意識の高度を表している言葉です。そして視線の先を照らし出す言葉です。
私は自分の課において、フリーセル自身が定める社是やビジョン、行動指針とは別に、3つのことを課しています。
・批評家になるな。
・同じ場所にいるな。
・考えて行動しろ。
特に最初の「批評家になるな」は、重要視しており、最も口にする回数は多いかもしれません。
相手を批判、批評するのは簡単です。傍観者が意見を述べることなど、非常に容易いと言えるでしょう。それ自体は、第三者の目から、という意味においては、必要なことではありますが、そこから生まれるモノの比率は、圧倒的に低いと言えます。
国民性とも言えますが、「批評家」という職業が存在するのは、日本くらいです。諸外国では、れっきとした職業を持っている上でコメンテーターとなる場合はありますが、批評家が職業として認められるようなことはまずありません。
この批評家現象は、過去しか語れない状態へと陥り、プロジェクトチームにおいては、何の役にも立ちません。だからこそ、発言内容には注意するよう呼び掛けています。
会社に置き換えてみましょう。
マイナスの社員は不満を語り、優れた社員は現状を見抜き、経営者は未来を語る。
そんなところでしょうか。
視点=成長であれば、その速度は視野の広さにかかっているのかもしれません。
狂者という言い方には語弊があるかと思いますが、まだ訪れぬ時間軸で話をする訳ですから、時に狂者と映ることもあるかもしれません。
未来なき経営は有り得ません。日々語る内容により、その属性は必然と区別されています。
私は狂者ではありませんので、未来を予言し見抜く千里眼も、未来を語る壮大な言葉も持っていません。それでも、進むべき方向は何となく感じています。
未来への視点
そこは目指しています。
それは同義であってもいいのではないか。。。そんな風に考えるのです。
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『許すということは、強さの証だ。』
「非暴力・不服従」を掲げ、その意志を貫き通したインド独立の父、マホトマ・ガンジーの言葉です。
単純に「ガンジー」といった方が良いかもしれませんが、「マホトマ」とは、「偉大なる魂」という意味を持つ彼の尊称です。フルネームはモハンダス・カラムチャンド・ガンディーと言います。
彼くらいの思想の持ち主である歴史人であれば、「ノーベル平和賞」は当然だと思われるかもしれませんが、候補に挙がった5回、彼はその全てを自ら断っています。
本来、経営には主従関係があります。
簡単に言うと「上司と部下」です。
一般的には、経営者は「強さ」を求められます。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、様々な誤解の中で、とにかく進まなければならないとき、何事も撥ね退けなければならないとき、予想外の失敗が突如訪れたとき、経営者は決断をしなければなりません。
某玩具メーカーが、新型ゲーム機の開発に乗り出したが売り上げがまったく伸びず、100億円以上の赤字を出したとき、経営者はその新型ゲーム機開発の担当だった社員を解雇しませんでした。その後、その担当が元祖「育てゲーム」を爆発的にヒットさせ、社会現象まで引き起こしたのは有名な話です。
これは社長が部下を許した構図です。
しかし、それだけだったのでしょうか。過程だけ聞くと美談で終わってしまいそうですが、そんな簡単な話であるとは思えません。許す許さないの前に、なければならないものがあります。
それは意志です。
何故か。
ガンジーには巨大なる鉄の意志がありました。【ポリシー policy】というよりは、【ウィル will】と言うべきでしょう。
そこには絶対的な意志の強さがありました。だからノーベル賞を断り続けたのです。その賞により、もっと思想を広げるツールに成り得たとしても、それは二の次だったのです。深読みすれば、謙虚であることを美徳としたガンジーは、最大限の自己主張をしていたと言えるのかもしれません。
問題なのは、その意志が相手に伝わるか否かなのです。
汲み取るべき示唆が含まれており、かつ相手がそれを汲み取れるとき、「許す」という行為は意味を持ちます。
こう考えると、相手を許すとは、如何に難しいことであるかがわかります。
何故なら、組織における「許す」とは、相手が汲み取れなければまったく意味がないものだからです。
ひとつの簡単な仕事を、5回も6回も間違え続ける部下を、もし許し続ける上司がいたら、その会社には生産性がないということになります。
良い悪い、強い弱いを決める前に、意志の有無に責任を感じなければなりません。
許すのは強さ。されど強き責任を負う覚悟。
相手のことを思い続ける者だけが、「許す」という行為を許される。。。。。
そんな風に考えるのです。
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『礼儀ほど美しいものはない。』
以前にもご紹介しました(名言から学ぶ経営学-003)、渋沢栄一先生の言葉です。きっぱりと『礼儀』を最上級と位置づけてしまう渋沢先生の心意気に、礼儀正しさを感じずにはいられません。
ビジネスには様々な形態があります。
・サービス業
・製造業
・事務職
・企画・立案
・コンサルティング業
それぞれに特色がありますが、内容として大きく異なるのがクライアント様との密接度でしょうか。
Webサイトをお客様のニーズによってご提案し構築する、私どもの仕事などは、
・提案(説明)
・ヒアリング
・スケジューリング
・制作
・確認
・サイト公開
こういった工程が必然としてあり、そのほとんどの期間をお客様と過ごすようなものですので、お客様との関わり合い、関係性は重要視しなければなりません。その中で、意気投合することもあるでしょうし、同じ目的に向かっている訳ですから、本音を言い合えるような仲になることもあるでしょう。
しかし、世の中には、『ノリ』と『無礼講』を履き違えてしまう方がいるような気がします。
友達にまで到ってしまえば、それはもう素晴らしいことですが、付き合いがビジネスである以上は、やはり一線を画す必要はあるはずです。最低限の礼儀すらないようでは、ビジネス的な信頼とは呼べません。『無礼講』とは、礼儀あっての発展系であって、基準は礼儀にあるのです。
同時にこれは、社内にも言えることです。社内だからと言って、お客様の前よりも横柄になっていい訳ではありません。
仕事を頼むであれば、精度高く、礼儀で以って依頼とし、依頼どおりに仕上げてくれれば礼を言う。当たり前の話であって、職種の問題でもなければ立場関係の問題でもありません。
私は特に後者には注意しています。
それは私自身の理念に近いものではありますが、戒めでもあります。同じように、私も仕事を頼まれるのですから。
柔道というスポーツは、勝負の前に一礼し、勝負が決したあと、必ず帯を締め直してから、畳の上をおります。この最初と最後だけは、ルール変更が行われたことがありません。
帯を締めてこそ礼儀
だから美しいのではないか。。。そんな風に考えるのです。
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『リスクを負わないことがリスク。』
いわずと知れたアメリカの実業家、あのマイクロソフトの創業者の一人、ビル・ゲイツの言葉です。彼がイギリス女王から名誉騎士(名誉大英勲章ナイト・コマンダー)を授けられていることは意外と有名ですが、世界で唯一人、個人レベルで、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿を保有している人物であることはご存知でしょうか(とてもうらやましい限りです)。
個人単位では世界一の資産を持つ、つまり最も成功したと言える彼が放ったこの言葉の真意は何処にあるのでしょうか。少し考えてみましょう。
経営には、常にリスクがつきまといます。
これは当然の話で、これ自体、経営者であれば誰もが理解しているはずです。
「リスクを恐れるな」
「リスクあっての成功」
至極、当然のことで、今更何を言っているんだ、という話かもしれません。
しかし。
「リスクを負わないことがリスク」
とは、ニュアンスが違うのに気付くでしょうか。
ビル・ゲイツは、経営者個人レベルや、企業の判断を問うているのではなく、
企業の在り方、を問うているのです。
企業であれば、成功しなければならず、利益を出さなければならず、成長し続けなければならない。
これが彼の真意です。だから、
リスクを負わない=成長しない=企業として致命的
という図式が成り立つのでしょう。
私は、日々業務の中で、仕事を任せた人間に、「失敗するな」という言い方はしたことがありません。むしろ、「今回は失敗して来い」という言い方をします。
主にディレクター属性ですと、ノウハウはあっても初めて出会うクライアント様がほとんど、ひとつやふたつの失敗くらい、起こらない方が不思議です。この世の中に、個人個人がどう思うかは別にしても、「失敗したことがない」者は存在しないはずです。失敗した分、成長することはわかっているので、「失敗するな」と言っても始まらないのです。
私は面接時など、失敗談を良く尋ねます。
成功の過程は、実はあまり覚えていないもので、箇条書きのような返答があるくらいです。
ところが、失敗の過程は得たモノが多いほど、エピソードとして成立してしまうのです。
まさに、リスクを負わないことがリスクで、
無難に与えられた仕事だけをこなしている者は、成長の速度も無難かつ平穏で、ドラマはありません。
社員である以上、成長しなければならない。
といったところでしょうか。
少しの認識の違いですが、一歩踏み込むと次元が異なって見えるような意識問題を、
ベクトルの捉え方
と私は呼んだりしますが、少なくともひとつ上の次元で物事を捉える努力は続けたいものです。
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『信用は実に資本であって、商売繁盛の根底である。』
幕末から大正にかけ、国内初の銀行の設立や養蚕業など、実業家としては勿論、養育院や日本赤十字社などの社会活動にも情熱を燃やし、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が残した言葉です。
徳川慶喜の家臣という経歴を持ちますが、それ以前には、幕府転覆の計画を実行しようとしていた革命家としての側面も持っています。無論、その胸中にあったものは、「日本を正しい方向に向かわせる」、その一心のみであったことは言うまでもありません。孔子の『論語』の精神を貫き、私が知る偉人の中でも、真に清廉潔白を生きた大偉人です。夏目漱石や野口英世にその座を譲り続けてきましたが、次回の1000円札は渋沢先生(あえてこう呼ばせていただきます)であって欲しいと密かに願っています。
渋沢先生は、僭越ながら簡潔に言うのであれば、日本経済システムの基盤を作った方です。
その方が、商売繁盛の根底を『信用』だと言っているのは、非常に興味深いと言えるでしょう。
技術は進歩しました。
情報処理の速度に伴い、経済そのものが『速度化』しました。
それに伴い、あらゆるものがオートメーション化され、人間同士のつながりは軽薄化し形骸化していると言われています。
ビジネスというものを考えるとき、『利益を生み出す』ことは絶対条件です。
ビジネスライク、という言い方をするとき、そのほとんどがヒューマニズムの否定を含むはずです。
戦略にスピード、資本、アイデア、それだけあれば会社が設立できます。
パソコンの前に座っているだけでも利益を創出もできるでしょう。
ここには、もしかしたら信用など必要ないのかもしれません。
では、『現代』は、渋沢先生の思想を超えたのでしょうか。
これを私は真っ向から否定することができます。
これは規模の問題です。
経済とは何か、を語るには私は若輩者ですので控えさせていただきますが、渋沢先生の言う「商売」は国家レベル、歴史レベルの話をしているのです。
商売というものは、基本的にインタラクティブ、相互的でなければなりません。需要と供給があるからこそ、商売は成り立ちます。そしてそのバランスを保ち続けるためには、どうしても必要なものがあります。
それが信用です。
あまりにも物事が複雑化してくると、何事も難しく考えるようになることがあります。周りにある、使用可能なツールが高度なために、まるで商売の仕方まで高度にしなければならない、そんな錯覚に陥ることがあります。
渋沢先生の思考は、常に未来に満ちていました。一過性の事業はひとつもありません。「一発儲けて余生を暮らす」つもりならば、きっと渋沢先生にはできたはずです。
私は渋沢先生の言葉をこう解釈しています。
【経済を支えられるような商売を長く続けるためには、人間同士の仕事でなければ駄目だ】
私はWebサイト、データの塊を制作しています。しかも、システム化されたCMSを扱っています。
しかしよくよく考えてみますと、インプットの段階では、社外ではお客様と、そして社内ではデザイナーやマークアップエンジニアと、人間同士の打ち合わせが制作時間のほとんどを占めています。アウトプットされるモノは、その結果でしかありません。
【ヒューマニズムの再構築】
日々を埋め尽くすデジタルの波の中だからこそ、人間同士の新たな形式が生まれつつある。。。。
そんな風に考えるのです。
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『仕事は探してやるものだ。自分で創り出すものだ。』
前回に引き続き、戦国時代に天下統一だけを目指し、権力の否定や新しい人材投与、火縄銃などの新兵器を活用し、常に先駆者であった織田信長が残した言葉です。
これは読んで字の如くですが、このあとさらに、
「与えられた仕事しかやらないのは雑兵でしかない。」
と明確かつ鮮烈に続きます。
信長と言えば、1560年に、断崖から馬で駆け下りるという、誰も思いつかなかった奇襲で今川義元を討ち果たした『桶狭間の戦い』から、『無茶』『奇抜』をキーワードに、その時代を併走させるに到りますが、その考え方は非常に論理的かつ的を得ており、経営学的です。
その戦術の是非はともかく、根本的な思想や行動力が群を抜いて創造的、つまりクリエイティブであったことに、戦国時代終焉の礎を築いた鍵が隠されているのではないでしょうか。
新しいことを始めるときにはリスクがつきまといます。しかし『誰かが始め』なければ、『誰かが創ら』なければ、世界の歴史がその厚みを増すことはありません。世界を動かしてきたのは、常に『自分で仕事を創り出して』きた者達なのです。
単純に『仕事』、と言うよりも、『己の役割』を考えるとき、それをどう捉えるかによって、その人の行動はどうにでも変わってしまいます。自分が動き、創り出すモノによって、何かを変え得る意志が在るか否か。
それが武将と雑兵の差になります。
この武将こそ、経営者と言うことができるでしょう。
生き方の是非まで唱えるつもりはありませんが、雑兵の方が失敗は少ないはずです。既に決定されている事項を扱う以上、それは間違いありません。ただそれだけでは、世界は止まってしまうのです。
信長の残した言葉は、今の時代にこそ必要なのかもしれません。
世の中の経営者の方々は、誰もが信長の言葉に賛同するはずです。
ですが。
ひとつ、忘れてはならないことがあります。
信長という経営者には、明智光秀という社員がいました。その社員もまた、一人の経営者として時代をクリエイトしようとしました。その結果は、、、、、、
私は歴史家ではありませんので、もっと簡潔に事実だけをとらえたいと思います。
経営における難しさは、勇気と無謀を切り分け、既成と創造のバランスを保ちながら、組織を同じ方向に向かわせなければならないことにあります。
幾ら革新的だからと言っても、ただ無謀であるだけではギャンブルに過ぎず、創造が全てだと勘違いし環境や伝統を無視すれば、やはり淘汰の対象になってしまいます。何よりも、どんなに優れた能力を持っていたところで、それが一人であっては「うつけ者」で終わってしまう可能性が高いのです。
「仕事は探してやるもの。自分で創り出すもの」。
それは当たり前の話で、経営学で必要なのは、その志を持った者をどれだけ集められるか、育てられるか、出会えるか、を焦点にすることであり、決してスローガンやキャッチコピーを押し付けることではありません。
信長が生きた時代、世界の推進力となっていた武器は、戦略とカタナでした。
私達が生きている時代、戦略とWebが、時代をクリエイトする武器になりました。
現在の私は、課を預かる経営者として、また一社員として、CMSという商材を扱っています。しかし、それとは別軸で、ひとつの可能性も見ています。
様々なクライアント様にCMSをご提供していくことで、Webそのものが進化する――。
そう信じて疑っておりません。
【時代のクリエイター】
変化の著しい昨今、次々とそう呼ばれる者たちが現れてくるでしょう。私もその一人でありたいと願うのです。
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『人、城を頼らば 城、人を捨せん』
16世紀を熱く生き駆け抜けた戦国武将、織田信長が残した言葉です。
簡単に要約しますと、
「人々が自分や仲間ではなく、城に頼ってしまったら、その城は滅びるであろう」
という意味になります。
この言葉は、経営の本質が「人材」にあることを明確に述べています。「城」とはつまり、現在の「会社」と言うことができるでしょう。当たり前のことなのですが、この当たり前を当たり前にするのはなかなか難しいことでもあります。だからこそ、信長は言葉を発したのだと思います。
私はどんなにWebが進化しても、それを作っているのが「ヒト」であることを決して忘れてはならないと思っています。技術の進歩により、現在はパソコンなり携帯電話なりの端末ひとつで何でもできます。それこそ部屋から一歩も出ることなく、日々を完結できるでしょう。
私達の周りに今あるモノを見れば、それは確かに便利で高度なモノがいつでも何処でも手に入るくらい溢れているようにしか見えないかもしれません。
しかし。
それを生み出した人達が必ずその背景にはいて、勝手に生まれたものではありません。生まれ出ようはずがありません。
そこに在ったのは、
意志。
創造。
全ての事象における「先駆者」「創造者」「先人」達は、多くの失敗と挫折を繰り返し、辛酸を嘗め尽くし、這いずり回って目的に辿り着いてきました。
何事にもヒトが関わっている。ヒトがいなければ何もできない、進まない。
経営学の基本であり、本質です。
異常なる速度で進化を続けるWebの世界。そこで最新の技術を扱っているからこそ、私は日々、部下の言葉に耳を傾け、クライアント様のお話に時間を割いています。
何故なら、
【時代の一番前ではなく、時代のほんの少し後ろにこそ、真実が潜んでいる。】
そう信じているからです。
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この記事に関連するテーマ
Web2.0。
何処かで耳にしたことがあるでしょうか。
その意味を問うよりも、何故このような言葉が生まれたのかに時代の鍵が隠されているのではないでしょうか。
IT。
Information Technology -インフォメーションテクノロジー-
今や、この言葉を知らない人はいないと思います。
生まれた時代は違えど、この二つは同じことでもあるのです。
情報を制する者が世界を制す。
歴史を振り返れば、インターネットやパソコンどころか、電話すらなかった紀元前でさえ、同じことが言えるはずです。
社会、人、競争、戦略、そして勝利と敗北。
勝つためには考えなくてはなりません。考えるためには情報を手に入れなければなりません。それが戦略です。
だから、人は情報を求めるのです。
世の中には情報を発信する者と、情報を受け取る者の2種類しかいません。
現在、ホームページを持っていない企業はほとんどないと言えます。
では、その利用法は?
ホームページは最もコストのかからない広告塔だと言われています。
業種や業態によって使用法は様々ですが、Webサイトにも性格があり、特色ある企業ごとに、その特色と合致する構造が必要になります。
ただホームページを作れば良いという訳ではありません。
そこで必要になるのがWebコンサルタントと呼ばれる者たちです。
申し遅れました。
そのWebコンサルタントの吉田亮と申します。
現在の私は『CMS』と呼ばれる概念を持つWebサイトをご提案しております。
ブログのように誰にでも簡単にホームページの更新が行えるサイト、そしてWeb2.0の先頭に立つべきサイト構築法です。
今まさに、私が書いているこの記事は、MT(Movale Type=ムーバブル・タイプ)と呼ばれるブログツールで書いています。つまり今、皆さんがご覧になっているこのサイトがCMSなのです。
やっていることと言えば、簡易なテキストボックスにワープロ感覚で文字を打っているだけです。そして最後に、ボタンを一度押せば、自動でサイト内にページが作成されます。
このスピードが大切です。
昨今、誰もが1日が24時間であることに疑問を持ち、ドラマのような日々を過ごしていることと思います。時間を持て余している人はいないはずです。この限られた時間の中で、最大限のことを行わなければなりません。
私は、このCMSを用いて、企業努力を続けている方々にWebを用いてのプロモーションの本質、『情報の伝え方という情報』を提供する者です。
Webは進化しました。
しかしその根幹は変わりません。
情報を制する者が世界を制す。
私はこのポリシーを掲げ、日々、CMS SOLUTION をご提供しています。
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