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小川 悟(取締役CS本部長)

徹底した生産管理で顧客満足を追求するCS部門のリーダー

主に人材育成、生産管理、サービス体制の整備を行う。分業・専門化を進める傍ら、営業部門や取引先も巻き込み、各工程別ガイドラインの整備や業務の標準化はもちろん、前工程・後工程のスタッフを「みなし顧客」として成果のフィードバックを行い内部牽制を図るなど、徹底した生産管理を実践。また、一部広報業務も兼務している。座右の銘は「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」(『史記』/司馬遷)。
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人材育成広報宣伝生産管理

名古屋営業所開設に想う ~ものづくり大国"NIPPON"ブランドを牽引する企業にあやかりたい~

2008年03月23日 11:07 PM

 投稿者 小川 悟

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日本経済の地盤沈下がいわれるなか、注目を浴びている経営者がいる。衛生陶器のTOTO。タイルのINAX。碍子の日本ガイシ。プラグの日本特殊陶業。洋食器のノリタケ。高級磁器の大倉陶園。……これらの企業を創立し、世界のトップブランドに育てあげた、大倉孫兵衛とその長男大倉和親である。

/『製陶王国をきずいた父と子 大倉孫兵衛と大倉和親』(砂川幸雄氏著)、本書そでの部分に書かれた書評より。

今月3日に名古屋営業所が開設しました。東京本社(管理部門は分室)、福岡営業所、大阪支店、そして名古屋営業所と、これで当社の拠点が4つ目となりました。当社の決算期は3月で、来月からは第8期目を迎えますが、私が入社した2期目には渋谷区・松涛にあったマンションの一室で、社員数も役員を含めて5、6人の会社でしたから組織の規模としては随分と大きくなりました。規模に負けないくらいの組織機能を付けてゆきたいと思う今日この頃です。

  名古屋営業所開設に因み、私事ではありますが、名古屋や愛知県に関する思い出話から始めたいと思います。まだ今の大阪支店さえもなかった頃に名古屋圏の既存クライアント様のところへ取材等々で短期出張したことがありました。また、前職も名古屋に営業所のあった会社でしたが1ヶ月間ほど出張に赴いていたことがありました。夏季休暇のときに帰省する郷里もなく、東京からほとんど離れたことのない私にとってこうした出張は大変気分転換になるものです。仕事が休みの週末には、同僚から自転車を借りたりなどして一人街見物に出掛けては、見る物すべてが斬新に感じ、写真を撮りまくっていたものでした。特に食べ物に関しては独特なものが多く、名古屋名物の食べ歩きなどにも出掛けたものです。

 

それから何と言っても名古屋(愛知県)関連で最も思い出に残っているのは、今から3年前の2005年のゴールデンウィーク期間中に訪れた愛・地球博」(以降、「愛知万博」)です。以前に本コラム故黒木靖夫氏と"クリエイティブ"に対する私の思いのエントリーでも触れたことがありましたが(盛田昭夫氏も愛知県出身ですね)、私はこの万博のようなイベントが大変好きです。いろんな国の文化や、企業の技術開発やCSRに対する取り組みなどが集約されて展示されたパビリオンを巡っていると様々な物思いにふけることができるからで、このときも私は一人で2泊3日の「愛知万博」巡りの旅に出掛けました。

先述したつくば科学万博(85年開催)が(出展企業のパビリオンの大半を電通がプロデュースしていたことから)「電通博」と揶揄されたのに対し、この愛知万博は「トヨタ博」と称されることもありました。

cf.『万博幻想-戦後政治の呪縛』(吉見俊哉氏著)、『博覧会の政治学 まなざしの近代』(吉見俊哉氏著)

確かに愛知万博は、メインテーマには「自然の叡智」を、サブテーマの一つには「循環型社会」を掲げていましたが、当時会場内を撮影した写真を見返してみると、会場内を走っていた交通機関IMTS(インテリジェント・マルチモード・トランジット・システム)」、「会場間燃料電池バスなどにはトヨタ自動車の開発したハイブリッドエンジンが応用されていたりと、地元を代表するエコロジーを推進する企業としての側面も見られました。

ところで、トヨタ自動車と聞いて思い浮かべるものの一つとして、トヨタ生産方式があります。私が生産管理部門にあたるCS部に所属しているからでしょうか、それとも私の父が町工場を営んでおり、中学時代には社会勉強を兼ねてプレスや金型製作、旋盤などの工程を見学しに遊びに行ったり、不良品の選別作業を内職で手伝ったりしていたものでしたが、大仰な機械が並ぶ生産ライン(と呼べる程の規模ではありませんが)を目の当たりにしていた経験からか、製造業の現場に慣れ親しんできたこともあるのかもしれません。

「ジャスト・イン・タイム(JIT)」、「カンバン」、「ムダ」、「平準化」、「アンドン」、「ポカヨケ」、「自働化」、「改善」、「見える化」etc・・・、ビジネス誌などでよく目にするこれらの用語が、このトヨタ生産方式に由来していることを知ってからは、私たちの仕事にどうにか採り入れることができないかを考えるようになっていきました。私たちの主な仕事はWebサイトの構築がメインではあるものの、一つのWebサイトを構築するまでには様々な職能を持った多くの人が必要であり、まさに労働集約型のコストセンター部門であり、例えるなら幾つもの機械がベルトコンベアで繋がれた、ライン生産を行う"工場"のようでもあります。

CS部発足当初はとにかくがむしゃらに働き、夜遅くまで働けば何とかなる!と力技での解決を目指していましたが、今のように組織も大きくなり、構築しなくてはならないWebサイトの数も膨大なものになってくると、今までのやり方がまるで通用しなくなってきます。トヨタ生産方式のようなフレームワークを導入した論理思考が求められてき、会社の成長に併せて拡大した組織に対し効率的にノウハウを浸透させてゆくような文化基盤(インフラストラクチャー)の仕組みづくりが急務になってきました。もちろん私一人の力ではどうにもできませんので仲間との協働作業が必要になってくるわけですが、そこでもうまく連携しなければ問題解決どころか逆に火を噴くプロジェクトやデスマーチを生み出し、全体的にモチベーションや生産性を下げてしまいます。

「どうしたら品質を上げつつ、もっと納期を早めることができるのか(品質と工数とは必ず反比例するものなのか)?」、「どうしたら人的ミスが減るのか(社員教育だけがミスを減らせる方法なのか)?」、「管理のための管理をしてしまっている部分はないか(ムリ・ムダ・ムラのある方法での作業も改善せずに工数に含めてしまい"仕事をした気"になっていないか)?」、「どうしたらもっとみんなが明確な自身のキャリアパスを描きながら楽しく仕事ができるようになるのか(組織全体に漂う疲弊感を生み出しているものは本当に忙しさだけからなのか)?」等、破綻したエンロン社の掲げていた「Ask Why(常に疑問を)」ではありませんが、今もそれは私の中で永遠のテーマとなっています。

 

こうした世界のトヨタ自動車を排出した愛知県は、製造業界で言うと日本でもトップクラスの実力を誇ります。製造品の出荷額では30年連続で日本一(cf.愛知県公式サイト「愛知ブランド-愛知のものづくり」より)、県内総生産も35兆6,862億円で、東京都、大阪府に次いで全国第3位(cf.同「あいちのすがた」)となっているとのことです。

今回は陶磁器に注目してみます。「やきものの町」として知られる愛知県瀬戸市は、江戸時代に陶工の加藤民吉が有田焼にインスピレーションを受けて開いた瀬戸焼で有名です。地域によっても呼称は違うのかもしれませんが、私などの場合は「瀬戸物」は「セトモノ」であって、幼少時代から陶磁器製品全般を指す一般名詞だと思い込んでいたほど生活に溶け込んでいました。

冒頭のエピグラムでも引用した『製陶王国をきずいた父と子』で語られる人物、大倉孫兵衛と大倉和親は、TOTOやINAX、日本ガイシ、日本特殊陶業、ノリタケ、大倉陶園といった日本の陶器産業(セラミック業界)を代表する名だたる企業の生みの親と言えます。ちなみに彼らが活躍した時代、日本を代表する輸出産業の先進企業を牽引した人物としては他に、三重県出身の御木本幸吉が挙げられます。"真珠王"と呼ばれた株式会社ミキモトの創業者です。

cf.御木本幸吉 生誕150年 | ミキモト
http://kokichi.mikimoto.com/
※「2008年1月25日はミキモトの創業者、御木本幸吉150回目の生誕の日にあたります」

先の愛知万博に訪れる際、旅の目的としては万博見物以外に「セントレア(中部国際空港)」と企業ミュージアム見学を入れていました。トヨタ博物館は残念ながら時間の都合で行けませんでしたが、ノリタケカンパニーリミテドの企業ミュージアムノリタケの森へは赴きました。万博好きが高じて"産業"としての洋食器やテーブルウェア、カトラリーの類にも多少の興味があったのと(cf.『「サン・シモンの鉄の夢」 絶景、パリ万国博覧会』/鹿島茂氏著)、オールド・ノリタケ(cf.アーリーノリタケ磁器博物館)などに現れる美術品・工芸品・コレクターアイテムとしての魅力、あるいはアーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、シノワズリといった芸術運動や日本の文様などに影響を受けていた当時のヨーロッパ発祥のデザインなどに興味があって、愛知行きのかなり以前から楽しみにしていたミュージアムでした。

cf.
・株式会社ノリタケカンパニーリミテド ノリタケのあゆみ
http://www.noritake.co.jp/about/history.html
・「愛知万博特集 万博の歴史」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/expo2005/history.html

アメリカに日本製の古い陶磁器の蒐集家の団体、「ニッポン・コレクターズクラブ」というものがあるそうです。ノリタケの前身であった森村組がアメリカへ陶磁器を輸出するにあたり、「Made in Japan」と刻印しなくてはならない規則を知らずに「NIPPON」とだけ書いて輸出していた1880年代から1910年代までの30年間に製造された製品が特に人気なのだそうです(cf.『製陶王国をきずいた父と子』)。「ノリタケの森」にはそうした古い陶器や最新作、大倉孫兵衛が影響を受けた錦絵を展示するミュージアムやショールーム、絵付け作業なども含めてノリタケの陶器ができるまでの実際の工程を見学できるクラフトセンター、セラミックについての知識を得ることのできる「森村・大倉記念館 CANVAS」などがあり、社会科見学のような感じで楽しめます。多くの展示の中で特に興味を持ったのは、歯科材料としてのセラミックに関する展示内容です。

cf.
・「ノリタケの森」施設一覧
http://www.noritake.co.jp/mori/map/
・株式会社 ノリタケデンタルサプライ
http://www.noritake.co.jp/ceramic/nds/

当社が歯科タウンという歯科医院検索ポータルサイトを創業時から運営していることもあって、歯科医院への取材はかなり行って参りましたが、取材時によく見聞きすることのある「ポーセレン・ラミネートベニア」や歯科用石膏の類が、実はこのノリタケと非常に関連が深いことが分かります。ポーセレン・ラミネートベニアや歯科用石膏もセラミック(陶器)の一種ですから関連があってもおかしくはないと思うのですが、「二人に一人はノリタケの陶歯材料」というタイトルで、「スーパー・ポーセレン・トリプルA」を開発し国内シェア50%、世界約50カ国への輸出実績などが説明されていて驚いたものでした。世界のノリタケは見た目に美しく生活を彩る陶器だけではなく、このように私たちが生きてゆく上で密接に絡んでくる口腔内へ対しても培った技術が適用されているのかと、ものづくりの究極の形を見たような気がしました。

 

当社が名古屋に営業所を開設する流れの中で、地域が発信する「ものづくり」の息吹に影響を受けながら、もっともっとその性質を伸ばしていきたいと思いました。

中部圏の企業にお勤めの皆様、このような私たちですが、今後も長いお付き合いができればと考えておりますので、どうぞ宜しくお願い致します。

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市場撤退という東芝の決断 ~現代に生きる古代中国の思想、「諸子百家」と呼ばれたコンサルタントたち~

2008年03月 3日 12:28 AM

 投稿者 小川 悟

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企業の事実と消費者の事実が、より近い関係になるためにこそインターネットは利用されるべきなのだろう。消費者の事実と企業の事実との摩擦を強め、険悪ムードを増長させるためだけにインターネットが使われるなら、インターネットそのものの存在意義から問い直さなければならないだろう。

/『東芝クレーマー事件』(前屋毅氏著)

2006年3月31日、「Blu-ray Disc(以下BD)」との規格主導権争いの火蓋を切ることとなった、東芝-NEC陣営の発表した新世代DVD規格「HD-DVD」搭載のDVDプレーヤーが発売されてからわずか2年、2008年2月19日、東芝の西田厚聡社長はHD-DVDの市場撤退を表明しました。かかる損失は数百億円規模と言われているので今後の動き次第なのでしょうが、まさに「そのとき歴史が動いた」の瞬間に立ち会ったような気がしました。

cf.参考記事

・戦いの軌跡 東芝のHD DVD撤退から学ぶもの(ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080221/294345/

・デジタル家電&エンタメ:特集 「ブルーレイ VS. HD-DVD」(IT-PLUS)
http://it.nikkei.co.jp/digital/special/disk.aspx

 

インターネットの記事の中には「消費者不在の不毛な規格争い」などといった意見もありましたが、こうしたデファクト・スタンダードの主導権を争ったビジネス戦争は今回が初めてのことではありません。2004年9月12日、ソニー・コンピュータエンタテインメントの社長兼CEOである久夛良木健氏は、今後のゲーム市場に対し大容量コンテンツ搭載が可能な仕様で臨みたいという考えから、「PS3(プレイステーション3)」にBDを採用すると発表しましたが、その際も重厚長大から軽薄短小へと推移していた市場ニーズを無視したオーバースペック、時期尚早などと言われていたような気がします。

BD規格を推進するソニー・松下陣営が2004年に米MGM Studios社の買収を決めると、東芝・NEC陣営は米Paramount Pictures社、米Universal Pictures社、米Warner Bros. Studios社、米New Line Cinema社と、ハリウッドの大手映画スタジオの支持を得たとの緊急記者会見を行い、まさに手に汗握る広報対決でもありました。

2008年に入り、この大手メーカー対決も終局を迎えるようになります。1月4日、Warner Bros. EntertainmentがHD-DVD陣営から離脱を表明、BD規格支持へと離反しました(ワーナー・ショック)。1月8日、米Paramount Pictures社がBD単独採用を発表、2008年2月15日には、米小売最大手のWal-Mart社が2008年6月までにHD-DVDの取り扱いを取りやめると発表――、しかし私たち消費者から見れば、一部のアーリーアダプター(初期採用者)たちを除いて、「一体どの規格が良いのだろうか?」という疑問ばかりが生まれただけの争いではなかったでしょうか。そうした意味においては、「消費者不在の不毛な規格争い」と言われるのも頷けます。

 

私のように最新の家電製品にとかく疎い者では、今回の規格主導権争いの背景や、どこにBDの勝算があったのか等について言及することはできないですし、PS3のときとの性質の違いなども詳しくは分かりません。しかし、私たちのビジネスの世界、すなわちインターネットにも多くの規格が存在しましたし(今も携帯用サイトなどはニーズが高まってきていますが、キャリアによる仕様統一とまではいっていません。また、保存用メディアとして活用されることの多いメモリーカードに関しては、DVDの規格とは比べ物にならないくらい混沌としているような気がします)、メーカーと違って形ある物ではなくWebサイトというイメージの産物を取り扱う立場ではありますが、ものづくりに関わる者として大変興味深いニュースでした。

cf.kizasi.jp

http://kizasi.jp/

※この時期「東芝」などについて書かれたブログが多く、消費者の関心を多く惹いたニュースであることが分かります。

 

このDVDの規格以前には、「レーザーディスク(LD)」と「VHD」との争いがあり、それより以前には「VHS」と「ベータ」戦争がいまだ記憶に新しいところです。いずれも多くの消費者からの支持を獲得することとなった規格が市場を制してきました。どのような規格も出始めはマイノリティからのスタートの筈ですが、経営陣や開発者たちの戦略がマジョリティを築き、その後戦いを制したプロダクトが有することとなるライフサイクルの膨らみの分だけ利益を得ることになりました。そういった単純な市場原理の側面だけから見ても、東芝のHD-DVD陣営としては長期戦にもつれ込んだとしても、最後まで戦い抜きたかったと思うのですが、市場撤退という決断はある種潔かったと言えるのかもしれません。

この一連の攻防戦に対し、世論は大きく「英断」と「遅過ぎた決断」とに分かれているようですが、本コラムではその是非ではなく、数百億円の損失を生むことを決定付けた「決断」という行為自体に主にスポットを当ててみたいと思います。

 

以前、当社専務から「"決断"とは"決めて断つ"と書く、つまり捨てることだ」と言われたことがありました。日々の業務の中で、私にとっては重要な判断を迫られた際に、リスクばかりを提示してなかなか決め込まない私に対する指導の一貫でもありました。決断したことによって、周囲から文句を一身に受けることになるかもしれないし、場合によっては会社からリアルなお金が出てゆくことになるかもしれません。事実、当社も右肩上がりの成長を続けていますが、それはあくまでも数字の面であって、今までにも多くの事業から撤退しています。そのときそのとき、少なからず損失はあった筈です。

そんな「決断」に際することを当時の自分は極端に恐れていました。成り行きだけが自分にとっての唯一の救いでしたから、上手く運べば良かったと考え、悪く運ぶと不満に感じるだけでまったくの部外者感覚が続き、結果論しか論じることのできない社会人生活が長く続きました。その見返りとして、当然参加意識を持てる筈もなく、今以上に大きな仕事は到底できないという消極的な思いばかりが深層心理を支配するだけでした。ですから当時の専務の言葉は、なかなか捨てることができなかった自身の人生の中で初めて聴いた「逆説の真理」でもありました。

 

ところで、この次世代DVDの規格争いですが、まさにビジネス戦争とも言えるでしょう。血こそ流れないものの、開発者たちが流した汗や涙(苦労や心配、徒労感、疲弊感)や多額のコスト、人材などが流れ出た現代のビジネス界における戦争です。また、ビジネスの世界は「ランチェスター戦略」「孫子の兵法」、「君主論」など、古くから企業の戦略や管理職のマネジメントを戦争や政治に例えて言うことが多いです(cf.「政治はすなわち国家の経営」/松下幸之助、松下政経塾)。

この孫子についてですが、孫子は紀元前の中国――、春秋戦国時代(紀元前770年~221年)に活躍した「諸子百家」と呼ばれる学者たちの中で、「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」や、武田信玄も影響を受けた「風林火山」の思想を唱えた兵法書(cf.『孫子の兵法』)などを書いた「兵家」を代表する人物です。「諸子百家」は、孔子、孫子、孟子、老子、荘子、墨子をはじめとした当時の各界の頭脳集団の総称で、言わば国家経営を支えたコンサルタント集団とも言えるのかもしれません。

cf.諸子百家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6

 

■東芝の「選択と集中」戦略 HD‐DVD撤退、フラッシュメモリーは新工場(J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2008/03/02017282.html

上記の記事の中では、先述のワーナー・ショックに際して、ソニーのストリンガー会長が水面下で動いていたことが書かれています。「孫子の兵法」で言うところの「衢地」(三国以上がひしめき合う土地)において、他国との同盟(ここでは「映画会社」からの支持)を急速に進めた戦略が功を奏したようにも思えます。本記事では、そのことが今回の争いに終止符を打ち、両社の損失を最小限に抑えた決定打となったことをほのめかしています。

 

以上のように、戦争に勝つためには「戦略」が必要なことが分かります。

私たちも「諸子百家」とはいかないまでも、様々な前職の経験を有したスタッフたちが日々研鑽しながら、「Webコンサルタント」としてお客様の戦略立案に貢献できるよう努力を続けています。今回引き合いに出したような大手企業同士の争いのようなスケールに対応することはなかなか難しいですが、かと言って中小企業様に戦略が不要であるわけではありません。私たちもまだまだ未熟な若輩者ばかりですから、お客様からの協力なくして事業を成功に導くことは到底不可能ですが、私たちやお客様が戦われている戦場において、恐縮ながら軍師や策士として活躍できることこそがこの仕事の唯一の醍醐味と思っております。お客様からもいろいろ教わりながら共に成長していきたいと願っているパートナーと思って頂ければ幸いです。

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