コンサルタントコラム

ホーム >コンサルタントコラム

コンサルタントの紹介

小川 悟(取締役CS本部長)

徹底した生産管理で顧客満足を追求するCS部門のリーダー

主に人材育成、生産管理、サービス体制の整備を行う。分業・専門化を進める傍ら、営業部門や取引先も巻き込み、各工程別ガイドラインの整備や業務の標準化はもちろん、前工程・後工程のスタッフを「みなし顧客」として成果のフィードバックを行い内部牽制を図るなど、徹底した生産管理を実践。また、一部広報業務も兼務している。座右の銘は「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」(『史記』/司馬遷)。
フォローしましょう

人材育成広報宣伝生産管理

年末商戦と消費キーワード ~ゲーム業界合従連衡の中で~

2007年12月31日 04:08 PM

 投稿者 小川 悟

 この記事のパーマリンク

ソニーはハードが主、ソフトが従、そういう路線です。任天堂はその逆でソフトが主、ハードが従(任天堂相談役・山内溥氏)。

/日経ビジネス 2007年12月17日号 『山内溥相談役、岩田聡社長が語る 任天堂はなぜ強い 「たかが娯楽」の産業創出力』より。

2007年12月2日は、Wii発売1周年でした。1日には新製品「Wii Fit」が発売され、年末年始を家族団欒で過ごされた方も多かったのではないでしょうか。ニュースでも2007年の家庭用ゲーム機の国内販売額が3,000億円突破の見通しということで、過去最高を更新したそうですね。ゲームと言うと、いまだ一方では良い印象がないものの、社会的地位を得ている証拠とも言えるのかもしれませんね。

この次世代ゲーム機と呼ばれるゲーム機が登場して世間を賑わすきっかけとなったのは、2005年12月10日発売の「Xbox 360」、2006年11月11日発売の「プレイステーション 3」、そして2006年12月2日発売の「Wii(発表当時は「Revolution(仮称)」)」の家庭用ゲーム機が公開された「東京ゲームショウ2005」の開幕だったかもしれません。こうした展示会でおこなわれた各社基調講演の中で、次世代ゲーム機とは何なのかについて語られ、各種メディアが記事に起こし我々消費者にまで伝えられてきました。

 

私事となりますが、私は俗に言う「ファミコン世代」に当たります。姉がいる関係で、幼少時代ゲームと言えば、ゲーム&ウォッチで遊んでいました。この「ゲーム&ウォッチ」は任天堂を語る上で外せない横井軍平氏によって世に登場したゲーム機です。1983年にファミコンが発売された後、私は既にMSXなどのゲーム機で遊んでいたクラスの友人の話を聞いている内にファミコンが欲しくなり、親にねだって買ってもらったものです。この時期最も印象に残っているのは、1986年5月27日に発売された「ドラゴンクエスト」です。発売前から「ファミリーコンピュータMagazine(ファミマガ)」、「ファミコン通信(ファミ通)」、「BEEP」等の雑誌はほぼ定期購読のようにむさぼり読んでは予習をし、発売日には近所のおもちゃ屋さんに並び、サウンドトラックもレコードやカセットテープで購入し、友人たちとゲームブックと呼んでいた分岐型ストーリーブックのようなものを作ったり、小学校のおたのしみ会では紙芝居にもしたものでした。1日何時間もプレイし、あれから20年余り経た今日でも、LV30 のときの復活の呪文が記憶にあるくらい印象的な"事件"でした。もちろんファミコン以前にもいわゆる家庭用ゲーム機はあったし、パソコンゲーム(当時はマイコンと呼んでいた)もあったし、近所の駄菓子屋さんに行けばアーケードゲーム機もありました。クラスの友人の中には、Nゲージで遊ぶものもいましたが、それでも主流はたちまちのうちに「ファミコン」になりました。そうした流れで、後のスーパーファミコンや、プレイステーションなどは購入してきましたが、今自宅に現存しているゲーム機は、「プレイステーション 3」と「プレイステーション・ポータブル(PSP)」、その他パソコン用ゲームのみとなっています。

 

また、今年1月21日に、故黒川紀章氏設計による国立新美術館が開館しました。国立の美術館としては30年ぶり5館目の開館で、私も開館したその日に行って参りました。今年7月に惜しくもお亡くなりになられた河合隼雄元文化庁長官による、文化庁メディア芸術祭10周年企画展として、「日本の表現力」という展示が行われたことがありました。アート、エンターテイメント、アニメーション、マンガを題材として、1950年代から2006年に至るまでの日本のメディア芸術について展示した内容でした。クロニクル(編年体)で綴られた、それらメディアの歴史をアンソロジー的に振り返ることができた良い機会でした。そこでも、私の人生の中におけるゲーム機の登場が、いかに大きな、生活習慣を変えるくらいの出来事だったかを思い知ったものでした。

ビジネスの世界では、こうしたファミコン世代が社会進出し、30代を迎えるにあたり、そこに新たなマーケットがあるのではないか?と各社がマーケティングに乗り出して久しいです。広告業界では、ゲーム内広告のようなメディアも出てきて、既存4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)さえもが、競合視するほどになりました。

 

ところが、昨今の少子高齢化の波の影響か、新たな競合出現によるゲーム離れによるものなのか、供給が需要に追いついたのか分かりませんが、我々がかつて熱狂的に支持していたゲーム業界において、昨今では再編の動きが加速して参りました。

2003年 4月 1日 株式会社スクウェアを株式会社エニックスに吸収合併、商号を株式会社スクウェア・エニックスへ変更
2004年10月 1日 サミー株式会社、株式会社セガを買収後、それに伴いセガサミーホールディングス株式会社設立
2005年 4月11日 コナミ株式会社、株式会社ハドソンが発行する第三者割当増資を引き受けて連結子会社へ
2005年 9月28日 スクウェア・エニックス、タイトーをTOBで買収後、連結子会社へ
2005年 9月29日 株式会社ナムコ、株式会社バンダイと共同持株会社である株式会社バンダイナムコホールディングス設立による経営統合
2006年 2月23日 株式会社バンダイナムコホールディングス、バンプレストを完全子会社化
2006年 3月 1日 株式会社トミーと株式会社タカラの合併により株式会社タカラトミー発足
2007年11月28日 株式会社バンダイナムコホールディングス、バンダイビジュアル、バンダイネットワークスを完全子会社化

各社が生き残りをかけてというか、数年先の業界内シェアや立ち位置を考慮して、先手を打ち合う格好となったのかと思います。誰と組むか?がキーとなっていた昨今だったのではないでしょうか。 

自社にない強みを求めて、競合企業と協力して今まで以上の成果を出す――、そうした合従連衡の動きの中で、私たち消費者はただその摩擦の中で生まれる、より高度なエンタテインメントに期待して私費を投入し、恩恵を享受し、また支持してゆくことが役割となっています。

 

そうした中で、今もっとも注目されている企業が任天堂ではないでしょうか?

社員数わずか900人、国内企業時価総額では、NTTやみずほファイナンシャルグループを凌駕し、トヨタ自動車、三菱UFJファイナンシャルグループに次いで9兆5,909億円で3位、1社員あたり2億8,655万円という驚異的な売上高と安定した財務基盤(預貯金)や体質。2004年12月2日の「ニンテンドーDS」、2006年12月2日の「Wii」発売でソニーの戦略をくじき、一躍お茶の間の支持を得て業界首位に返り咲いた任天堂。今後はニンテンドーDSとWiiとの連携や、インターネットとの融合などが見込まれており、既にNTTとはフレッツ光通信網との連携を図るための協業が進められていると聞きます。通信・放送の概念を、根本から覆してしまいそうな、その強さの秘密はどこにあるのか――。

 

冒頭に紹介した「日経ビジネス」の誌面の中では、『時代を超える「娯楽屋魂」』と大きく見出しが打たれています。

任天堂の創業は1889年にさかのぼります。花札を製造する「任天堂骨牌」として創業した後、1902年に、「日本で初めてトランプの製造を行う」とあります。今ゲーム業界で注目の的となっている任天堂のスタートは、花札やトランプを製造する玩具メーカーだったのかと思うと違和感がありますが、先に引き合いに出したナムコ(有限会社中村製作所)の創業は、デパートの屋上にある木馬の製造メーカーとして、セガ(日本娯楽物産株式会社)やコナミ(エンタプライズ社)やタイトー(太東貿易株式会社)などは、戦後になって進駐軍がもたらしたと言われるジュークボックスの製造・修理、賃貸業などからスタート、ソニーは日本で初めてトランジスタラジオを発売したことで有名ですね。

任天堂は、その他のゲームメーカーと違って、玩具(ソフト)からスタートしたのでした。また、山内溥任天堂相談役へのインタビューも併載されています。山内氏曰く、「私たちのビジネスはソフトとハードが一体型のビジネスなんです」と。この発想から、コントローラーの既成概念を壊して「Wii」が創られたのか、と思いました。この発想力が任天堂の強さなのかと痛感しました。

この発想力をもって任天堂は、おそらく2007年のクリスマスを含む年末商戦ではイニシアティブをとったのではないでしょうか。親世代を味方につけた任天堂の今後のインターネット網進出にも目が離せません。PS3でも同じようにメタバース(インターネット上の仮想空間)のサービスの提供を始めていますが、インフラとしてはニンテンドーDSとWiiを合わせた方が大きいです。この2機種がインターネットを媒介として互換したとき、そこに新たなアイデアとマーケットが開拓されることでしょう。

 

電通が「話題・注目商品 2007」として発表したリリースの中では、2008年の消費潮流を、「ネタ共振消費 ?ネタでつながり、ネタではじける」と説いています。AIDMA(「Attention(注意)」「Interest(関心)」「Desire(欲求)」「Memory(記憶)」「Action(行動)」)に対する、「AISAS」(「Attention(注意)」「Interest(興味)」「Search(検索)」「Action(購買)」「Share(情報共有)」)のことを言っているようにも思います。年末の消費キーワードの中で、任天堂をはじめとしたゲーム機の機種名なども上位に入っていたかもしれませんね。

 

私たちの事業も、ハードを売って利ざやを得る商売ではありません。「Webコンサルティング」という形のないものを売っています。任天堂と一緒にすることはもちろんできませんが、まず違うのは私たちが販売する先は事業主様です。事業主様がビジネスを推進してゆく上で必要となるWeb戦略を客観的立場から構築してゆくわけです。アイデア勝負と言われれば簡単そうに聞こえますが、今までの経験則や、体系化された生産ライン、そしてクライアントに雇用された社員であるかのような当事者意識が要されます。

期待を損なわないサービスを提供するために、またより多くの信頼を得るために私たちは貪欲に努力を続けてゆく次第です。つい先日は、「オーバーチュアオンライン代理店」に登録されました。今後もより多くのお客様とお付き合いする中で、さらに高度なサービスを求められてくることでしょうから、そうした外的な刺激を常に受ける環境に身を置いて、一層高度なサービスの提供に努めて参りたいと思います。

この記事に関連するテーマ

企業理念に基づいて「年頭所感」を述べる ~「ホスピタリティ」他、CS部で大切にしている考え方~

2007年12月17日 09:45 AM

 投稿者 小川 悟

 この記事のパーマリンク

世界の常連客がいちばん期待し、リッツ・カールトンも最大の武器と自負しているもの。それはホスピタリティ精神である。

/『週刊ダイヤモンド 07年3月31日号(特集:リッツ・カールトン極上の「おもてなし」 サービス全解剖)』より

毎年年始になると、首相や各社経営陣から年頭所感なるものが発表されます。前年度のことについて述べたり、本年度の抱負について語ったりするものですね。きちんと説明責任を果たさなくてはならない立場の人は大変だな、と他人事に考えることは簡単ですが、これをいざ自分でやってみようと思うと意外と難しいながらも面白いものだったりします。

「一年の計は元旦にあり」と言われる時期に仕事上の目標とは別に個人的な目標を掲げるわけですから、コミットメントに対するノルマはないまでも自分には嘘を付けません。必然的に24時間365日、意識した行動を心掛けることになります。自己発信の抱負に対してどれだけのアクションが取れたのか?一年の締めくくりを落胆した気持ちで迎えたくはないものです。仕事の中での自分も成長したいが、人としても成長したい、さらにそれらが相互に刺激し合ってもっと大きな人間になりたい、またそう考えられる自分であり続けたい――、多くの人はそのように考えられているのではないでしょうか?

今年もまもなくそのような時期に入りますので、今回のコラムではそれに沿った話になるかと考えて、私が以前にザ・リッツ・カールトン東京に宿泊したときのエピソードなどを持ち出しながら、タイトルにある「企業理念」や「年頭所感」について述べてみたいと思います。

 

  2007年3月30日、六本木の東京ミッドタウン内に「ザ・リッツ・カールトン東京」が開業しました。ちょうど2007年は私の両親の結婚40周年の年でありましたので、良い機会と思い今年6月にクラブフロアの1泊をプレゼントしました。夫婦水入らずでと思っていたのですが、両親の薦めもあり私も宿泊することになりました。

私事ではありますが、今回の急なプレゼントは親孝行の一つでもあったのかと思いますが、他にも理由がありました。私の古くからの上司でもある専務は、いつも元旦になると4月の期初とは別に個人的な目標を立てるのですが、数年前から私も真似をするようにしています。私の場合は目標というよりはスローガンのようになってしまっているのですが、2007年は「"与えられる"側から"与える"側へ」でした。

私は社会人になってからフリーセルへ転職した以降、上司に恵まれたのかそうでないのか、とにかく苦労は多かったものの多くの方に様々なものを与えて頂き助けられてきました。困ったときは必ず助けてもらえたし、引っ込み思案だった私が何かに挑戦しようと自分なりに頑張って行動に移せば陰で援助されていたり、自分の採った行動が正しかったかどうか分からず不安になっていたときは褒めてくれたりと、知らず知らずの内に人間形成をされてきたような気がします。学校や家庭で学びきれなかった処世術というか、人として大切なものを多く学べた時期でした。

しかし、私の見ているCS部も気が付けば70人くらいの大所帯となってきて、「もっと学びたい、教えて欲しい、成長したい、助けて欲しい」と言っている場合ではなくなってきました。むしろ、私自身が部や会社の将来について考え、今よりも良くなるように努めていかなくてはならない立場となっていました。正直、この立場の逆転を自覚したときは衝撃でした。今までは自分がどうやって成長してゆくかについて考えていれば良かっただけですが、これからはみんなをどうやって成長させてゆくかについて考えていかなくてはなりません。似ているようでまったく違う発想が必要とされてきます。

 

そのための取り組みとしていろいろおこなってきたこともあって、ゆくゆくこのコラムでもご紹介していきたいと思っていますが、まずは私自身が「変わろう!」と思って掲げた「"与えられる"側から"与える"側へ」についてお話したいと思います。

「与える」と一口に言っても様々あると思います。知識や技術、考え方などはもちろんのこと、成長機会、目標設定、達成感、ヴィジョン(志)、ポリシー(信念)、帰属意識(ロイヤリティ)、競争原理、教育・褒章制度、人事考課、やりがいのある職場環境(モチベーション)、ゲーム性、学び実践できるようになる楽しさ、安心感、喜び、誇り、透明性や説明責任(レスポンシビリティ、アカウンタビリティ)、権限委譲(エンパワーメント)、スケジュールや部下の管理能力etc...

何をとっても初めてのことばかりです。本を読み、人の話を聴いても、すぐに自分の考えとして採り入れることも難しければ、行動に移し結果を出すとなると途方が暮れるかのようでした。そんなとき、今年の期初に当社の企業理念が刷新されました。「フリーセル行動指針」では、フリーセル社員の率先垂範(ロールモデル)となる考え方や行動習慣について、7つの指標が立てられました。もちろんそれ以前までも企業理念はありましたが、社員数が急増したこの年に改定となったことは私にとって救いでした。スキルよりもスタンスやマインドを重視する社風が、このときから芽生え始めてきました。

5月には青山にある愛と感動のレストラン「カシータ」の高橋オーナーを招いて、「ホスピタリティ」に関する講演をおこなって頂きました。講演で引き合いに出されたリッツ・カールトンホテルの「クレド」については、かつて当社でも導入を図ろうとしたことがありましたが、うまく社内に浸透しませんでした。逆にこの失敗が糧となって、今の浸透した企業理念があるのだと思います。

また、冒頭でも引用したリッツ・カールトンと言えば、サービス業に携わる者にとってのバイブルとも言うべき『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』などで以前から興味を持っていました。2006年9月に創業100周年を迎えた「能登・和倉温泉 加賀屋」さんが旅行新聞新社主催の「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で26年連続で1位に選ばれたり、2004年以降、それまでの東京都心再開発事業に伴って多くの外資系ホテル(コンラッド東京、マンダリンオリエンタル東京、ザ・ペニンシュラ東京etc...)が進出してきた時期でもあり、バブル以降冷え込んだ消費は戦後のモノ信仰からサービス信仰へと移り、マズローの欲求段階説ではないですが人々の消費志向もより良いサービスを求めるようになってきた潮流の中で、ホテル産業はそうした「サービス」における一つの代名詞的存在として注目されました。

講演の中で高橋オーナーもおっしゃっていたのですが、まずは自分自身が体験することによって感性を磨き、人に与えられるようになるという内容の話に影響を受け、思い立って行動に移したのが今回のザ・リッツ・カールトン東京の宿泊プレゼント企画でした。

実際に行動に移してみて気が付いたことは多いです。当たり前のことですが、相手を喜ばせるにはどういったサプライズを用意すればよいか?宿泊予約時から周知、セッティング、アフターフォローまでどのようなスケジュールでおこなうか?また、実際に宿泊してみて、アメニティはどうだったか?スタッフの応対時の表情はどうだったか、ワガママな希望を述べたときのスタッフの言葉遣いはどうだったか?そのとき自分はどう感じたのか――?

基本的なことだけでもいろいろ考えさせられたことはあります。学生時代までは自分が喜ぶために何かをして欲しいという発想が半分でしたが、社会人になるといろいろと相手を喜ばせたくなるものです。こうした考え方こそが、サービス提供者としてのCS部でも必要だと考えるようになりました。

 

なかでも、このホスピタリティ(おもてなしの心)の考え方は重要視していて、リッツ・カールトンが「ホテル産業ではなく、ホスピタリティ産業」と強い自負を持ってサービス提供をしているように、私たちもスキルやノウハウの前に、スタンスやマインドを重視したいと考えるようになりました。

この「ホスピタリティ」の他、私がいつも大切にしていると話すことは、同じくらいの年代の人たち、また中途採用者で構成される組織ですから様々な価値観がぶつかり合うこともあって、「コミュニケーション」(情報伝達のための技術や心掛け、読む・書く・聴く・話す・感じるのリテラシーの強化)と、「リスペクト」(相手の立場を思いやり、考え方や意見を尊重する、仲間の業績やコンピテンシーに敬意を払い自己に採り入れる)です。おそらく学生時代までに家庭や学校で学んできたことばかりなのかと思いますが、社会人になるとなぜかできなかったりすることが往々にしてあります。前提としてマナーや教養があるのだと思いますし、その先には「問題解決思考」だとか「ロジカル・シンキング」だとか方法論や各種ツールがあるのかと思いますが、まずはビジネスマンである前に一人の人間ですから、こうした考え方を大切にできる人たちでCS部の抱える問題の解決や提供サービスの品質向上をおこなっていきたいと考えています。

 

話の内容が転々としてしまいましたが、これらの考え方を元に構築してきたCS組織について、今後もどんどんとご紹介していきたいと思います。また、首相や企業のトップによる「年頭所感」を真似て、来年はどのような個人目標を立てられるか、今から楽しみです。この「自分だけの年頭所感」は、皆さんにも是非お勧めしたいと思います。

この記事に関連するテーマ

就職活動回想録 ~新聞各社インターネット進出の潮流の中で~

2007年12月 1日 06:36 PM

 投稿者 小川 悟

 この記事のパーマリンク

「いかなるメディアの場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する」

/『メディア論』(マーシャル・マクルーハン著)

 

インターネット上のニュースにて、日本経済新聞社と朝日新聞社、読売新聞グループ本社が、「日経・朝日・読売インターネット事業組合」を設立したという記事が目に留まりました。これら新聞社が手を組むことによって記事や社説の読み比べができるサービスなどを2008年度以降開始してゆくという内容でした。 このニュースを見て、ここ最近のインターネット上の様々な動きについて思いが巡りました。

2004年9月1日、「Google ニュース 日本版」開始の際に掲載拒否の姿勢をとった読売新聞社と産経新聞社、さらにさかのぼること2002年、デジタルアライアンス社が提供していたエクスチェンジ機能搭載のニュース配信バナー「LINE TOPICS」でティッカー表示していた記事の見出しに読売新聞社で掲載されたニュースの見出しと同じ表現が引用され、著作権侵害ないしは営業侵害に当たると訴訟を起こした事件――、リンクポリシーなど定めている媒体社は多かったものの、「ニュースの見出しに著作物性はあるのか!?」と私も当時、趣味で運営していたホームページで利用させて頂いていたサービスだったため、関心を持ってこのニュースの進展を追っていたものでした。

 

ここで私事ではありますが、今の仕事を始めるようになったきっかけを少しお話したいと思います。

私が大学へ進学した1994年という年は、「就職氷河期」という言葉が「新語・流行語大賞」で審査員特選造語賞を受賞した年であり、就職活動期にもその余波は続いていました。1997年に自主廃業を決めた山一證券から内定をもらっていた友人は、大手金融機関の破綻のニュースに自身の将来を重ね、全く別の業界へと路線変更しました。企業から送られてくるエントリーシートに大学名を記載する欄がない企業の割合が増えてき、インターネットからのエントリーしか受け付けない企業も現れてきた時期でした。

その頃私の志望していた業界は、マスコミ業界でした。表現に自信があったわけではないですが、幼少時代から「収集癖」があり、また、カセットテープやMDへ好きな音楽を「編集」したり、友人たちと旅行やイベントを「企画」したり、実施後にそのときの模様を他者へ「報せる」行為、デジカメブームより以前に使い捨てカメラを常備して記憶に留めたい瞬間を「撮影」する行為、それらを忘れないよう備忘録として新聞記事等の「情報をクリッピング」したり「記録」する行為――学生時代までは日記や詩、社会人になってからはインターネット上の掲示板やコミュニティ、2002年からはブログ等――、そうしたものを表現するため生来好奇心と懐疑心が強かったこともあって歴史的経緯や因果関係等を探ろうとする「裏取り」と、自身の心象とをなるべく正確に文章表現したい気持ちから「読書」「取材・調査」(実体験を含む遊歩、聴講、図書館・博物館通い、統計や白書、ダイジェスト等の考現学・未来予測系の情報に目を通す等)を行うことが好きであったことを考えると、そうした志向の具現化の可能性としてマスコミ業界が選択肢として浮上してきたのも、自身のことではありますが今さらながら納得がいっております。

 

さて、前置きが長い割に結果はどうかと言えば、それは惨憺たるものでした。

50社ほど受けたマスコミ系企業からの回答はすべてNO。マスコミ研究会と呼ばれる大学内のマスコミ企業受験対策向けのゼミから友人が仕入れてきた情報などを頼りながら四苦八苦していました。あるOBからは自身が入社した某大手マスコミ企業では、「ただでさえ少ない採用枠が就活期に入る前にコネ入社者で埋まってしまい新卒募集の必要性はないが、ステークホルダーに対する体力誇示や、この時期を利用しての企業ブランディングのためにコストをかけて採用活動を行っている。練習だと思って受験するくらいの気持ちで臨んだ方が良い」といった話を聴くことがあったものの、そうしたエクスキューズに活路を見出そうとしても何も生まれませんでした。ただひたすらに自分の能力・適性不足と現実社会の厳しさを痛感し、私は已む無くこの業界との決別を果たすことになりました。

そんな時期に出会ったのが前職の会社です。求人広告に謳われていた「ベンチャー」、「IT関連企業」、「Eコマース事業」といった、自分にとっては全く新しい言葉に一筋の光明を見出した気がしました。コンプレックスから再起を図ろうとする自分には相応しい企業だと思いました。50社から捨てられ自暴自棄となっていた当時の自分を受け入れてくれた企業に、私は自分のすべてを捧ごうと決めていました。ジュールの法則ではありませんが、もしも能力不足を熱意や時間だけで補えるのであれば、自分の時間を惜しいとは思いませんでした。それこそまさに「自分探し」への旅出でした。正確に言えば、「一般社会から評価を受けなかった自分の"評価を形成する成果"はいつどこで得られるのか?」がテーマであり、当時の自分の仕事に対するモチベーションのすべてでした。

 

世の中の動きも、西暦2000年問題やミレニアムを迎えるお祭りムードが漂っていたその頃は、渋谷で非営利団体「Bit Valley Association」が起こり、NTTドコモで「iモード」サービスが始まり、『クリック&モルタル』が翻訳出版され、「インターネット博覧会(インパク)」が開催され、「IT革命」「ブロードバンド」が「新語・流行語大賞」に入賞し、Windows XPの発売などがあり、インターネット関連企業に異様なくらいの株価が付いたりなどした時期で、それを境として後のWeb2.0時代までの間にも消費者の価値観や購買心理が変遷し、企業もそうした動きに合わせた質的変化を求められるようになっていきました。

それでもIT業界と呼ばれた業界は、中から見るとまだ生まれたての産業であって、伝統あるメーカーや既存のサービス業などと比べても、業務フローや契約書の類、人事・評価制度などにおいて未整備・未成熟な部分が多いものでした。それだけに既成の枠にとらわれることなく良い点、強みだけを伸ばすことに注力できたことも、急成長の一因となったのではないかと思います。

 

随分と蛇足が長くなってしまいました。ここで話を冒頭に戻しますが、少し前に大手新聞社社員の方による講演を聴講する機会がありました。 その中で、そもそもの報道の在り方に始まり、今後の新聞社の向かうべき方向について話がありました。

大手新聞社の収益構成は、販売収入が53%、広告収入が30%、その他収入(スポーツ・芸術振興等の事業収入含む)が15%と言われています。

cf.「新聞事業の経営動向」2006年度集計(新聞協会経営業務部)より。

この少子化時代に、活字離れ・新聞離れが加速した一因としてインターネット普及も挙げられるかもしれませんが、単一商品(新聞)しか取り扱いのない新聞社にとって、読者離れは死活問題と言えます。『ウェブ進化論』の中で「チープ革命」についての記載がある部分で、2005年頃のフジテレビ・ライブドア問題やTBS・楽天問題に対する著者の意見が述べられてもいますが、その頃から各社新聞社が紙面で採り上げるようになった会社の名前も、それまでの大手メーカーや銀行などの名前に混じってインターネット関連企業の名が増え始めました。広告関連の雑誌などでも採り上げる媒体は、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ、交通広告などばかりでしたが、その頃からはインターネット広告やWebマーケティングに関する記事や広告が増えてきました。今年10月には「毎日.jp」「MSN産経ニュース」がリニューアルオープンするなど、新聞各社のインターネット上でのシェア争いが記事として採り上げられることが増えましたが、こうした動き自体を包括する意味で、根幹にある新聞業界全体が互いに手を取り合って存続のための競争を生ませているようにも見えます。

こうしたインターネット企業などによる「通信」事業に対し、「放送」という長らく生活者を支えてきたインフラを牛耳り、最後までインターネット関連のニュースを採り上げることを敬遠していたテレビ業界でさえ、大手広告代理店や新聞社、出版社、ラジオ局などもこぞって参入したSecond Lifeを自ら番組にしてしまうほどに至りました。権威性を示すにも、"放送"で"通信"を圧倒する方法ではなく、"放送"で培ったコンテンツ制作や報道に関するノウハウを"通信"の中で活かそうとする動きのようにも思えます。

 

「AIDMA」や「AISAS」などの用語が席巻し消費者の嗜好が複雑化してくると、新聞社なら「新聞」で、テレビ局なら「テレビ」だけで利用者を囲うことが難しくなってきました。

同じように中小企業を取り巻くインターネット・ビジネスにおいても、「ホームページを運営すれば仕事がくる」といったことは元々ありませんが、インターネット黎明期には良しとされていた方法論だけでは成果をあげにくい世の中になってきました。自社の強みを最大限に引き出し、それを求めている市場を探し、ピンポイントに露出してゆくマーケティング寄りの思考が必要となってきました。全社をあげてインターネット事業に取り組んだり、逆に一担当者任せでも良いのですが、そこまできてしまうと中小企業にとってはどちらにしてもリスクにしかならなくなってしまいます。そういった背景からか、自社の専門外であるWebサイト制作やリスティング広告に関してはアウトソーシングに回そうという動きが目に見えて増えてきています。

 

私たちはそうした顧客ニーズを満たすために、こうした「Webコンサルタント.jp」といったサイトを立ち上げて経験やノウハウを蓄積・集約させ、その後還元してゆくという企業活動を続けています。「Webコンサルタント.jp」をご覧の皆様と再びお会いするまでに、どれだけ高度なご要望に対してもご満足頂けるようなソリューションをご用意できているか、そうした思いが私たちのビジネスの活力源となっております。

この記事に関連するテーマ