小川 悟(取締役CS本部長)
小惑星探査機「はやぶさ」関連映画で改めて学ばされるリーダーシップ ~失敗を繰り返さないための「成果」を「進歩」に繋げるマネジメント~
2012年01月31日 01:23 PM
投稿者 小川 悟
But Professor Itokawa never spoke of failure, only of “results”.
We've made progress thanks to those results.
/映画『はやぶさ HAYABUSA』(堤幸彦監督)
現在私はベトナム最大の都市、ホーチミン市に駐在しています。
ベトナムでは中国暦をベースとして旧暦(陰暦)を採用しており、今年は1月23日から4日間が旧正月(テト)期間にあたり、どこもかしこも一斉に休業となってしまうため、その期間を含む1週間だけ日本に一時帰国して本社に出勤しておりました。
旧正月が明けた30日の夜のフライトでベトナムに戻ったのですが、暗い機内で読書にも疲れたので映画でも見ようと番組表を見てみると、『はやぶさ HAYABUSA』(堤幸彦監督)があったので見てみました。
この「はやぶさ」が多くの人に感動を与えたと同時に、ビジネスシーンでも多く転用されていることについて感じたことを今回書きたいと思います。
「はやぶさ」と言えば一昨年6月に、60億km、7年に渡る宇宙の旅から無事にミッションを終えて地球に帰還、カプセルを届けたことで「宇宙史に残る偉業」と称され、昨年はギネス・ワールド・レコーズに「世界で初めて小惑星から物質を持ち帰った探査機」として認定もされ、それ以前まで「平成大不況」だとか「失われた20年」などと言われ、事業仕分けが行われて「挑戦」「創造」「付加価値創出」よりも「コスト削減」を強いられるような風潮に社会が覆われ、どのメディアも日本ブランドが振るわないと書き立て、私たち市民でさえもどこか閉塞感や自信喪失、モチベーションダウンを感じてしまうような肩身の狭い思いでいたさなかの出来事で、「絶対諦めない」とか「希望」といった強い思いを奮い立たせてくれた明るいニュースだったことを思い出します。
私もその年、DVDで『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-』(帰還バージョン発売前に焦って購入)を観ていたのですが、「はやぶさ」帰還後にビジネス誌やネット上のビジネス関連のコラムなどでもよく引用されていたので、映画でどのように表現されるのか見ておきたかったですし、2月、3月にも別会社からの公開を控えており(もともと提案は8社からあったそうです)、第1弾映画がどのようなものだったのかも気になっていたところでした。
■全天周映像 HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-(「はやぶさ」大型映像制作委員会によるドキュメンタリー作品)
http://www.live-net.co.jp/hayabusa-movie/
■はやぶさ HAYABUSA(20世紀フォックス,11年10月公開)
http://movies.foxjapan.com/hayabusa/
■はやぶさ 遥かなる帰還(東映,12年2月公開)
http://www.hayabusa2012.jp/
■おかえり、はやぶさ(松竹,12年3月公開)
http://hayabusa3d.jp/
冒頭に挙げた一節は、『はやぶさ HAYABUSA』中に出てくる脚本の一部ですが、私の見たものが英語の字幕スーパーだったためにこのような引用となってしまいました。
確か「(糸川教授は)決して“失敗”という言葉は使わなかった。その代わりに“成果”という言葉を使った。成果があったからこそ進歩があった」というような一節でした。
「失敗は成功の母」という言葉もありますが、つまりは「失敗」という単なる結果(状態)を示すだけの言葉は責任逃れのエクスキューズであって、失敗をしたことで得られた反省材料なども含めて「成果」であるから、それを次回に生かすことで進歩に繋がるといった考え方です。
奇しくも、最新号の『日経情報ストラテジー』の特集は「失敗を生かす組織」というものでしたが、ここにも「はやぶさ」の名前を見つけることができました。原発事故などを引き合いに「日本人は失敗に向き合う姿勢が不十分」、「失敗と向き合い、共存することは、競争力の源泉ともなり得る」という内容が書かれています。「はやぶさ」については、「はやぶさ」の観測機器を製造していた明星電気という会社の特集が組まれていました。
cf.失敗体験を通して創造力を生み出すために ~アポロ月面着陸40年、世界天文年2009~
http://www.web-consultants.jp/column/ogawa/2009/05/post-31.html
以前書いた上記コラムを見返して、「アポロ13」が“輝かしい失敗”なら、「はやぶさ」は“輝かしい成功”だろうと感じていました。
ここで引用した「JST失敗知識データベース(独立行政法人 科学技術振興機構)」は事業仕分けの一環でか畑村創造工学研究所へ移管されてしまいましたが、日本人である私たちは、今のような時代、改めて失敗にしっかりと向き合って、「不必要な失敗」をしない方法を選択していく必要に迫られているのですね。
今のような時代――、スイスで25日に開会し、昨日29日で閉会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんが日本人俳優で初のスピーチをおこなったとのことで興味を持って目を通してみました。渡辺謙さんは、先の『はやぶさ 遥かなる帰還』で主演を務められますね。
cf.渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文(「東京新聞」,2012年1月26日)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/news/davos.html
昨今の欧州財政危機や国家間の緊張関係悪化等のニュースを見ていて、昨年世界各地で起こった大地震や洪水等の天変地異に加え、より一層不安材料が増えたかのようにも感じていた中、一筋の光明とも感じられる内容で元気を頂けたような気がしました。
ところが、まさにそのダボス会議の裏で進められていた「世界最悪企業2012(Worst company of the year 2012)」の投票結果が同タイミングで出ており、ノミネート時に2位だったブラジルのVale社以下の企業を突き放して1位を争っていた東京電力が、辛くも800票の僅差で2位に逃げ切ったニュースが報じられました。
原発事故の際にずさんな管理と言われただけでなく、その後の情報操作や隠ぺい工作などが世界からの目に悪く映ったとのことです。実際、「世界終末時計」で禁断の針を進めてしまった要因にも挙げられました。
cf.世界終末時計、1分進んで「残り5分」に 日本の原発事故も要因
http://www.cnn.co.jp/world/30005222.html
「Worst company of the year」は、スイスのNGOが世界経済フォーラムに合わせて創設した賞で、企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility)を果たしていない「世界最悪企業」を投票で決めてフォーラム内で表彰することで社会的責任を果たすように働きかけるという目的でおこなわれているものです。
「想定外の事故」だったにせよ、その後の言動がより注目されることは周知の事実であった筈で、国際社会の一員としての信頼を低下させただけでなく、誠意の見えにくい対応によって日本の観光産業に与えたダメージが必要以上に大きくなった点も否めないでしょうし、東北周辺の住民を中心に国民に対して与えたストレスも計り知れません。「社会的責任を果たしていない」という評価を「失敗」と捉えるならば、そこから何を得たのか、せめてそうした見解は知りたいですよね。
また、成人の日には「新成人の9割が日本の将来に不安」などといったアンケート結果が報じられ、新成人へのインタビューで「総理大臣がコロコロ変わる」、「メディアが暗い話ばかりしているから世間も右肩下がりになる」、「国会でけんかするのはやめてほしい、切なくなる」といった声も報道されました。ステレオタイプな意見とも取れなくもないですが、国民の総意を代表したものとも思える声、もしくはニュース編集でした。
政治だけでなく、先の東電のケースもそうですし、他の一部私企業でも「企業の社会的責任」が欠落したために、「日本、大丈夫なのかな?」と国民を不安にさせたり、悪いことをすることへの抵抗感や罪悪感を引き下げる要因を作ってしまっているようなケースがあるかもしれません。
cf.マクロミル モニタサイト 公開調査データ 「2012年新成人に関する調査」
http://monitor.macromill.com/researchdata/20120105shinseijin/
会社に置き換えて考えるのは比較するものが違いますが、確かに一つのプロジェクトになぞらえても、上層部同士が揉めているだけだったり、プロジェクトリーダーのすげ替えばかりがおこなわれて遅々として進まず、ビジョンが示されずに状況が改善されないことが続けば、オペレーションに当たっている者からすれば不安しか感じません。リーダーには、このような状態を引き起こしてしまうような状況にしないような采配と、環境改善の力も求められると思います。
また、そういったことが常態化した組織に居続けることも個々人の価値観形成上で悪影響を及ぼしそうな印象を受けます。
以前、社内勉強会「フリーセル大学」の一環で、いつも共に頑張って仕事している現部課長向けに研修をしたことがありましたが、そこで『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP研究所,Dorothy Law Nolte/Rachel Harris共著,石井千春訳)という書籍を共有したことがありました。著者が1954年に書いた詩と言われる『子は親の鏡』に書かれてある内容が、当時の組織構築フェーズにおいて特に重要な事象であると思っていました。内容の詳細については下記ご参照下さい。
cf.あの ドロシー・ロー・ノルト 博士の 『子どもが育つ魔法の言葉』 シリーズ(PHP研究所)
http://www.php.co.jp/bookstore/dr.html
そういう点で、私たち国民が今のような「印象」を受け続けてしまうことは良くないと感じているので何とか理解して頂きたい部分でもありますね。今は問題解決で手一杯で、ビジョン策定や周囲への気遣いが難しい時期なのかもしれませんが、まだまだ私たちの民度も自分たちを守ることで手一杯で逆にそこを気遣う程は人間が出来ておりません、といったところでしょうか。
今年2012年は辰年、干支で言えば「壬辰(みずのえたつ)」、運勢としては吉凶賛否が分かれています。
「リーダー」という観点で見ると、世界的には、ロシア、フランス、アメリカ、韓国で大統領選挙が行われ、中国でも指導部交代があると言われている年です。
cf.世界のリーダー特集 - NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/special/08_leader.html
世界のリーダーがどう共存関係を構築していくのか。私たち国民一人ひとりがその動向に注目しつつ、自身を取り巻く環境の中でベストを続けていかなくてはなりませんね。
また、仕事の上では、顧客満足創出のためにも会社を盛り立てるリーダーとしても、「成果」を「進歩」に繋げていける年にしたいです。
この「成果」の中には成功体験も失敗体験もいっぱい詰まっています。さらに世の中を見回せば、自分自身の成功・失敗体験以外にも多くの見本があることに気が付きます。そういったものも糧にして、今年1年頑張って参りますので、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。
長年、日本は経済大国として優位なポジションに位置し、有利にビジネス交渉を進めることができた。今後は、どのような友好な手段で相手とウイン・ウイン(双方にとって望ましい結果を得られる)な関係になれるか、相互利益を考えなければならない。(中略)国内で日本人が考える、日本を中心軸とする思考は偏りが大きい。グローバルには、このような偏った考え方が弊害になる。
/『海外勤務を命じられたら読む本』(白藤香著)
早いもので、いよいよ2011年も最終日。
今年1年、お客様、お取引先様と関係各位には大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。
さて、今年1月に以下のコラムを書きました。
「映画『ソーシャル・ネットワーク』を観て視野を拡げる ~2011年「辛卯」の年、当社設立10周年を迎える年は明るい年に!~」
当社にとっては設立10年を迎えた節目の年でした。「明るい年に」という点で言うと、震災や洪水などもあって決して明るい年とは言えませんでしたが、当社だけで言えば総体的には明るいニュースが多かったように振り返ります。
IT関連の話でいけば、1月に映画『ソーシャル・ネットワーク』が公開されたとき、Facebookユーザー数が全世界で6億人に迫ると言っていたのに、いまや8億人に迫る勢いです。まさに今年2011年はソーシャルメディアが台頭し、政治活動や企業のプロモーションから友人や家族とのコミュニケーションツールといった使い方まで、一般大衆にまで浸透した年になったと言えるかと思います。
それから、上記のような新しい特性を持ったメディアの浸透に合わせて、スマートフォンや「iPad」をはじめとするタブレット端末、電子書籍といったデジタルツール等もまた、数年前までは一部のイノベーターやギークの専用アイテムだったものも、いまでは老若男女を問わない生活家電の一つとなり始めました。
当社も例に漏れず、Twitterアカウント開設に次いで、Facebookアカウント開設、各種公式サイトのスマートフォン対応を完了させ、関連セミナーなども多くおこなってきました。
現在6000社を超える当社お客様である中小企業様の間でも、自社の公式サイト以外にこうしたソーシャルメディアのアカウントを開設されたり、スマートフォン対応化させたりと、ビジネスに活用し成果を上げられているところが出てこられました。
既存のお客様向けにクローズドで配信しているメールマガジンがあるのですが、その中の一つのコーナーで、成功事例を採りあげてご紹介するという内容もあり、引き続き成功事例を集めていきたいと考えております。
基本的に当社が提供しているような「Webコンサルティング」をアウトソーシングとして利用されようとしている中小企業様は、インターネット上のこうした新しい潮流にも敏感で活用意向が高いように思われますが、まだ導入されていなかったり、うまく活用しきれていない企業様も多くいらっしゃいますので、これから出会うことになる企業様も含めて、しっかりとサービス提供できるように体制を固めていきたいと思います。
そんな今年の年末も例年同様にニュースのダイジェスト、検索キーワードランキング、「今年の漢字」など、一年をまとめに入るコンテンツがいろいろと公開されました。
この中に、「社長が選ぶ 今年の社長」というのがあり、1位に孫正義氏が選ばれていました。
cf.社長が選ぶ今年の社長2011|調査報告書|学校法人産業能率大学
http://www.sanno.ac.jp/research/president2011.html
孫正義氏は昨年に引き続き2年連続で1位とのことです。確かに、震災時も孫正義氏が「個人で100億円を寄付」というニュースがあって、大変驚いたものでした。
その孫氏が90年代後半に提唱したとされる「タイムマシン経営」という考え方があります。今となってはもう陳腐化されてしまったのか、よく話題にのぼる言葉ではなくなっています。
当時、IT分野で最先端と言われていた米国シリコンバレーを中心として、流行していた技術やサービスを日本に輸入して、まだ流行を迎えていない日本で展開すれば儲かる筈だというビジネス投資の在り方のことで、先進する米国を「未来」、遅れていた日本を「現在」として、時差を活用して収益を上げるというビジネスモデルをタイムマシンになぞらえて孫氏がそのように呼んだと言われています。
この呼称や考え方の是非はさておき、結果としてこのようなモデルで事業をおこなってきた企業は業界問わず多いと思いますし、先進している国にリサーチに行って日本で展開するビジネスのヒントを探ろうとされている方は今でも多くいらっしゃいます。孫氏が日本で初めて開発・創造したビジネスモデルというわけではないと思います。
しかし、当時から孫氏の経営手法は多くの経営者や若手起業家たちの注目の的となり、ヤフー株式会社の筆頭株主であるとか、ボーダフォン買収だとか、iPhone独占販売だとか、あるいはブログが流行し始めたり、「mixi」や「GREE」がリリースされたりとニュースを賑わす度に時折「タイムマシン経営」なる言葉が再燃することがあったのでした。
つまり、企業が利益追求や理念の実現のために常にニーズなりシーズなりを追求して、何もないところに市場を生み出そうとする限り、新たに創造するか、「ある」ところから「ない」ところへ持ってくるかしかなく、またそれは企業の経済活動上必然であるということなのかと思います。
さて、これより表題の、「第1回ホーチミンIT飲み会」の感想を簡単にご報告したいと思います。
cf.ホーチミンIT飲み会 - IT飲み会 公式サイト
http://www.it-nomikai.jp/hochiminh
「第1回ホーチミンIT飲み会」は12月2日に、「Pizza4P's」で開催されました。会場となった「Pizza4P's」はホーチミンでは説明不要の有名店ですね。
私はこの時期、ちょうどホーチミンにいたため、参加することができました。総勢80名以上が参加したと言われていますが、実態としては延べ100名くらいの方がベトナム国内外より来られていたように思います。
母体は、株式会社 EC studio様と株式会社サムシングファン様が主催となって立ち上げられた「IT飲み会」で、「売上を上げるための情報交換」「売上を上げるための人脈作り」「飲み会中に売上を上げる」という3つの目的を掲げ、日本全国に各支部(幹事企業)を置いて定期的にイベントを開催されています。IT系の展示会に「IT飲み会」名義でご出展されていたこともあったので、ご存知の方も多いかもしれません。
2008年より活動を開始して、2011年にはついに、サンフランシスコで初の海外開催がおこなわれ、今回のホーチミンはグローバル第2弾ということでした。
普段ですと1社30秒程度のプレゼンタイムがあるのですが、今回は2社が代表してプレゼンをおこないました。
株式会社ビーコンエヌシー藤井悠夏氏による「ベトナムにおける結婚ポータルサイトの立ち上げについて」は大変興味深かったです。
藤井さんとは「第1回ホーチミンIT飲み会」の少し前に食事の席でご一緒させて頂く機会に恵まれ、オフィスも見学させて頂いたことがあるのですが、ご自身のキャリアの中で蓄積したノウハウを、まだあまり市場が生まれていないベトナムで展開され支持を受けています。
日本にいて日本人の目で「タイムマシン経営」をおこなおうとすると、「もう出尽くしたかな?」と思えるようなことも、例えばベトナムに来て日本から輸入したことをおこなうことで時差を利用したビジネス展開というのも可能そうです。
「タイムマシン経営」を語源のままに「米国(未来)」と「日本(現在)」という相関関係でしか見ることができないと、こういった発想はなかなか出て来ないですね。そもそも、語源的な「タイムマシン経営」も、「日本(現在)」しか見れていなかったら成立しない概念ですしね。
藤井さんは海外でお生まれになり外国で生活された期間も長いようですので、このような固定観念がないのかもしれないと感じました。
なにやら来年はテレビ番組で特集されるとのことで、機会があれば是非拝見させて頂きたいと思いました。
cf.NHK アジアで花咲け!なでしこたち|2012年2月7日(火)BS1でスタート
http://www.nhk.or.jp/asia-nadeshiko/
よく日本人が外の世界を知らないたとえに使われるのが、「オーストラリアの世界地図」ですね。日本で売られている世界地図はもちろん日本が中心に描かれていますが、アメリカで売られている世界地図はアメリカが中心に描かれています。そして、オーストラリアで売られている地図の中には、なんと、天地が逆になったものがあるという話です。もちろんこれは公式の地図ではありませんが、日本人が見ると異様なものに見えます。私たちは「世界地図」と聞くとどうしても日本が中心にあるデザインのものをイメージしてしまうのです。
同様にテレビなどで、世界の国々で日本に対する印象を街頭インタビューすると「サムライ」、「ゲイシャ」などと言っている人がクローズアップされて映像編集され、それを見て私たちは「いまだに日本を知らない国もあるのだな」と一つのネタのように感じることがあるかと思いますが、その逆――つまり、外国のテレビ番組で日本人にインタビューをして検討違いの印象を述べてしまう番組を見たことがないこともあって、私たち日本人も同様に世界を知らないという認識が少なかったりします。
例えば、南アフリカ共和国を例に出してみます。「2010 FIFAワールドカップ」でも記憶に新しいと思いますが、この国に対して一般的にどのような印象を持ちますか?もちろん人によって違うとは思いますが、先の「サムライ」、「ゲイシャ」と大差ない発想をしてしまう人もいるかもしれません。
人口5,000万人、インターネット普及率ではまだ10%超えといったところですが、携帯電話の普及率は100%を超え、既に非接触ICカードも普及していたことから、直近ではモバイルペイメントによるショッピングが当たり前のようにおこなわれていくだろうと言われています。
cf.世界で2番目に大きな携帯電話市場となったアフリカ / 成長スピードがすごい!(「ロケットニュース24(β)」,2011年11月16日)
http://rocketnews24.com/2011/11/16/152125/
また、いわゆる「国際都市」という言葉がありますが、東南アジアの幾つかを見て回るとそれに該当する都市があります。その多くで様々な国の人が街を往来し、店先では時折英語や日本語での会話がやり取りされといった光景が見られますが、日本ではむしろ東京の主要な繁華街に行っても、お土産屋さんに外国人が大勢集まって店員さんが日本語と英語を使い分けて話しかけているという光景はあまり見られません。
東南アジア、とりわけ新興国では特に、「英語や日本語が話せる」というステータスがあることで待遇の良い職場で働けたり、ビジネスチャンスを生んだりすることが多いから話せる人が多いのかもしれません。
そういう点でも、個人所得や国力の上では日本から海外に行く方が楽だったり、マスメディアやインターネット普及率の面で見ても、日本にいる方が情報を多く仕入れやすい筈の私たち日本人にも知らないことは多いように感じました。
他にも感じることは多々あります。これは異論反論あると思うのですが、韓流ブームのさなか、ある人と話していて「なぜ韓国は国をあげて日本にプロモーションを仕掛けてくるのだろう」と言われたのですが、「日本に」というより「日本にも」「各国に」という方がしっくりくるように感じていました。
例えば、やはりベトナムを例に出しますと、ベトナムで一番高いビルはホーチミンにある「Bitexco Financial Tower」ですが、施工は韓国のヒュンダイ・エンジニアリング・アンド・コンストラクション(以下、ヒュンダイE&C)ですし、現在構想中といわれる100階建てのビルの建築プロジェクトにも韓国系企業が参画していると聞きます。
日本が原子力発電所の誘致で支援するとなれば、ヒュンダイE&C社は火力発電所を担当しています。
ちなみに、JETROが発行する「ベトナム・ホーチミン近郊ビジネス情報2011」によれば、世界からの直接投資の推移(2010年までの累計額)を見ると、1位が台湾、2位が韓国、3位がシンガポール、そして4位が我が国日本となっています。額の上では、日本よりも韓国の方が投資をおこなっているということです。
これもまた「日本人による、日本中心の発想が生むバイアス(偏見)」と言えるのかもしれません。
人というのはいくら不偏不党であると自称していても、どうしても先入観や偏見を持って物事を見たり価値を判断してしまうものとは思います。かくいう私も同様ですが、先のような「日本中心」の発想というのは日本国内では通用するとは思いますが、一度日本を出ると通用しないことも多いと感じることが増えてきました。
これからのグローバル社会で、日本が再び(引き続き)アジアをリードする国であり続けるためには、あえて「日本中心の発想」から離れていかないといけないのではないか、という気にさえなってきます。
cf.図録▽経済成長率の推移(各国比較)(出所:社会実情データ図録)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4500.html
「第1回ホーチミンIT飲み会」に参加された方々は、既にベトナムへ投資・進出されている企業の方、もしくはこれから進出をご検討されている方がほとんどでした。
もちろん参加されていた企業は、主にIT関連企業が多いのと、全ての企業が参加されているわけではなく既に十数年前から進出されている企業様もベトナムには多くあります。
私が見たのはそうした企業の一部ではあるのですが、その熱気(文字通りの意味以外に、ビジネスの可能性の感じられ方等も含め)はすごかったです。
この熱気も、日本にいると分かりにくいですよね。もちろん私も実際に参加していなければその熱気は感じることができなかったわけですが、私自身ももし日本にいながらこの話を聞いても、また公式サイトのレポートや誰かのブログなどでいくらその熱気を伝えられても、実際に目の当たりにしないと正確には伝わらなかったろうと思います。
主観・直感も大切だと思いますが、それは自身の経験値を上げた上での主観・直感でありたいと思いましたし、今後も出来るだけ客観的事実を把握した上で自身の意見を持ちたいと感じました。
今後、ベトナムをはじめ、東南アジアや欧米諸国に進出される中小・ベンチャー企業様も増えてくるかもしれません。もし、ベトナムへご進出のご予定がある企業様で、日本やベトナムでのWeb戦略についてお困りのことや、実施したい施策などがあるという方は是非一度ご相談下さい。
それでは来年もどうぞ宜しくお願い致します。
「渋谷に西武が出てきた役割というのは、単一資本の街づくりが陥りがちなワンパターン化傾向に対して、他資本がアンチテーゼを出していく、絶えず刺激を与えていくということにより、街を活性化していく」
/『SEEDレボリューション 西武セゾングループのファッション潮流への挑戦と実験』(西武百貨店文化教育事業部編)
本日、11月3日は文化の日ですね。
私たちの仕事は、中小・ベンチャー企業向けWebコンサルティングということで、当然ながら日々の仕事にパソコンは付き物で、特に私のような内勤がメインの仕事となると帰宅後も含めて毎日10時間以上、パソコンの画面を見ていることもしばしばです。
やはり、こういう業界にいると、こんな日くらいはパソコンから離れて読書でも、と思いたくなります。森信三氏は読書を「心の食物」と表現(cf.『修身教授録』/森信三著)されましたが、日本国憲法に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という件もあります。
このような時期、待っていて必ずしも享受できるものとも限りませんので、自ら摂りにいくといった次第です(笑)。身体への気遣いは多くの人が自発的に実践されていると思いますが、心の方も同様にセルフケアを実践するといった意味で、私にとっては読書はその一つになるのかもしれません。
それから、極めて私事ではありますが、先般、事情により6年近く住んだ渋谷の地を離れることとなりました。今回のコラムでは、ビジネス的な話から少し離れ、当社本社のある渋谷へ対する個人的、感傷的な思いも織り交ぜつつ(笑)、文化の日ということでもあるので、表題にあります私が学生時代より興味を持ち続けている岡本太郎氏、石津謙介氏、花森安治氏という同じ1911年生まれの3人の文化人について書こうと思います(cf.『マーシャル・マクルーハン生誕百年、「メディアはメッセージである」 ~4月、当社第11期スタート、当社公式サイトスマートフォン対応化完了~』)。
まず、岡本太郎氏について。
忘れもしない2008年11月18日、当社本社のある渋谷に、氏の巨大作品「明日の神話」が誘致されました。JR改札から渋谷マークシティに抜けた吹き抜けの壁面を利用してぴったりフィットしています。この作品の招致合戦にはいろいろあったことと思いますが、渋谷在住の私にとっては目の当りにする機会が増えたので嬉しい限りでした。
氏を知らない人でも「芸術は爆発だ」という言葉はよく知られていると思います。普通は、何か荒々しいことを連想し、風変りな人だという印象を持ちそうです(風変りであったとは思いますが)。しかし、氏の養女として長年付き添った故岡本敏子氏によれば、この「爆発」は、自身の内から沸き起こるもっと静かな閃き――換言すればインスピレーションのようなものを言っているそうです(cf.『芸術は爆発だ!―岡本太郎痛快語録』/岡本敏子氏)。
岡本敏子氏がお亡くなりになられてすぐの2005年5月27日、『たけしの誰でもピカソ』というテレビ番組で『“せつなくも うれしく 恋しい人” 敏子が愛した岡本太郎』という特集が組まれたことがありました。この番組内で先の「明日の神話」のエピソードが登場するのですが、実はこの作品、諸事情により長らく行方不明になっていて、2003年にメキシコ国内で発見されるのですが、岡本敏子氏が30年来探し続けたと言われる稀少な作品であったのです。まるで、この作品を探し出すことが自身の使命と言わんばかりに、ようやく日本に持ち帰れるかどうかというときにお亡くなりになってしまいました。
東京・青山にある「岡本太郎記念館」は、岡本太郎氏が生前に自宅兼アトリエとして使用しており、没後に敏子氏が館長を務める記念館となりました。岡本太郎記念館は、表参道駅から根津美術館の方向に歩いていく道すがらの閑静な住宅街の中にあり、私もブルーノート東京のライブに行く前に、少し早めに出て岡本太郎記念館でコーヒーを飲んで逸る気持ちを落ち着けることが時々あったのですが(笑)、岡本敏子氏が生前の頃はよく顔を出されていて、満面の笑顔で訪れた人たちに気さくに声を掛けられる様子が印象的でした。
今年2011年は、岡本太郎生誕100年ということでドラマ化されたり、岡本太郎記念館をはじめ各地でイベントが行われていましたが、私も東京国立近代美術館や渋谷パルコで開催された展覧会を訪れたものでした。
さて、この岡本太郎氏、芸術家としての顔の他に、先の「芸術は爆発だ」にも見られるように、独特な考え方や言葉も有名で、後日語録なども多く刊行されました。その中に、『強く生きる言葉』や『壁を破る言葉』というものがあります。
挑戦した不成功者には再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない。
/『強く生きる言葉』(岡本太郎,岡本敏子著)
現代のような、困難な時代に立ち向かう際に勇気を与えてくれるということで、昨今再評価を受けることがある氏だそうですが、この2冊を読んで片鱗に触れるだけでも元気になれることと思いますので、機会があれば是非手に取ってみて下さい。
続いて、石津謙介氏について。
「駅前には広場があって、その光景は地方都市のどこにでも見られるようなものと変わらない。そして岡山名物のふたつの立像が距離を隔てて建てられている。ひとつは岡山といえば桃太郎というくらい有名な、その桃太郎が犬と雉と猿を引き連れている立像、もうひとつはバンカラ・スタイルの弊衣破帽の学生像である。」
/『VANストーリーズ―石津謙介とアイビーの時代』
2007年に私用で直島を訪れたことがありましたが、後日上記の本を読んだ際、途中立ち寄った岡山駅舎前で「ここが石津謙介氏の生まれ故郷か」と感じたことを思い出していました。
氏は、「VAN」ブランドで知られる、株式会社ヴァンヂャケット(前身は「石津商店」)の創業者で、先の岡本敏子氏がお亡くなりになられた約1か月後の2005年5月24日にお亡くなりになられてしまいました。
「VAN」ブランドは割と好きな方で、ファッションに疎い私も、VANの赤いスウィングトップや、絶版本の『VANグラフィティ アイビーが青春だった』等の関連書籍などは所有しています。
ファッション界で「アイビー」と言えば、いわゆる「アイビーファッション」、「アイビールック」と呼ばれる、アメリカの「アイビー・リーグ」からとられて流行したスタイルの一つですが、50年代、60年代頃に日本で最初に紹介をしたのが氏です。
雑誌「平凡パンチ」が創刊された60年代、東京・銀座のみゆき通りに、当時にしては変わったファッション――、この「平凡パンチ」を片手に持って、女性はロングスカートに大きな紙袋、男性はコットンパンツかバミューダショーツといった格好をして集まる若者がいて俗に「みゆき族」と呼ばれていたそうですが、彼らの着ていたのがVANであり、持っていた紙袋こそがVANのロゴが入った紙袋でありました。
あまりに多くの若者が通りを占拠するため、現地警察が動き、石津謙介氏に何とかするように依頼したことがあるそうです。そのエピソードから誕生した氏の有名な言葉が、「僕は消えて行く流行ではなく、日本に定着する風俗を創ろうとしたのだ」というものです。
そんなVANブランドも、皮肉なことに時代の波か、賛否問われる経営手腕のためか、1978年4月6日、当時にして500億円の負債総額を抱えて倒産してしまいました。戦後、アパレル業界最大の大型倒産と、当時のファッション界で話題になったニュースだったようです。
cf.「墜ちた“中国ビジネスのカリスマ”女社長 その華麗な半生の虚実」(2011年11月3日,「MSN産経west」)
昨今もアパレル業界で大型倒産がありましたが、そういったものとは全く性質を違え、巨額の負債を抱えても復活を望む人々の声が消えず、多くのファンの期待に応えて見事再生を遂げたのが先の株式会社ヴァンヂャケットでした。
もちろん、75年生まれ世代の私にとってはタイムリーに知らない話ばかりですが、実は氏の遺したDNAは至るところで見つけることができます。
『MEN’S CLUB』(ハースト婦人画報社)というファッション誌があるかと思います。2004年に創刊50周年を迎えた老舗雑誌ですが、前身を『男の服飾』(『婦人画報』の男性版に当たる)と言いました。63年に『MEN’S CLUB』と誌名を変えた頃、本誌は「VAN」のPR誌と言われるほど特集を組むなどしていたようですが、そこに氏が動いていたと言われています。
私の世代以前の方には馴染みもあると思われる、雑誌『POPEYE』(マガジンハウス)や『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの雑誌でも、かつて「アイビー」に関する特集が組まれていたことがあるようです。『Hot-Dog PRESS』で「アイビー」の特集が組まれた頃の話については、『アイビーは、永遠に眠らない 石津謙介の知られざる功績』に詳しいです。著者は、『Hot-Dog PRESS』の創刊プロデューサーで、79年の創刊から88年までの間、同誌のエディトリアル・ディレクター、ファッション・ディレクターを務めた花房孝典氏です。
他にも男性ビジネスマンなら少なくとも1着は持っていると思われる「ボタンダウンシャツ」、これをトラッド/カジュアルシーンに登場させたのはブルックス・ブラザーズが発祥と言われていますが、そのBDシャツを日本で定着させたのが氏と言われています。
また、今でもJR渋谷駅から渋谷マークシティに入り、道玄坂に抜ける手前にある「メーカーズシャツ鎌倉」、鎌倉本店をはじめ全国各地に店舗があります。「上質のシャツを、4900円で販売する」というコンセプトで、利用されるビジネスマンの方も多いのではないかと思いますが、ここでシャツなどを買うと「石津謙介」という手書きの文字が入ったカードが一緒に入ってきます。
そこには、「私の門下生、貞末君夫妻がシャツショップを始めるという――」で始まる文章が書かれていますが、ここで「貞末君」と書かれているのが「メーカーズシャツ鎌倉」の創業者であり、一般社団法人日本メンズファッション協会(MFU)理事の貞末良雄氏です。貞末氏は、元ヴァンヂャケットの社員だったのです。
以上、こんなところにまでという印象もあると思いますが、そのようにして「VAN」のDNAは現代にも受け継がれているのだと思います。
大阪のアメリカ村は「VAN」発祥の地ですが、現在、株式会社ヴァンヂャケット本社が置かれるのは東京・青山です。そこから歩いてすぐ近くにある表参道交差点にある山陽堂書店では、今月7日まで氏に関する簡単な展示をおこなっており私も訪れました。
まだ数日ありますので、今も昔も一部男性諸氏を虜にしたファッション界のカリスマ、石津謙介氏にご興味があれば是非訪れてみて下さい。
最後に、花森安治氏について。
氏は、1948年9月、東京・銀座にて、生活誌『暮しの手帖』を、現暮しの手帖社社主の大橋鎮子氏とともに創刊した編集長です。先述のヴァンヂャケット社が倒産する少し前の、1978年1月にお亡くなりになられています。
2008年2月、主婦の友社刊の婦人誌・生活誌の『主婦の友』が休刊し、91年の歴史に幕を閉じたニュースは、出版不況の代名詞のように伝わったものでしたが、そうした中で私は、根強く特定の読者層を抱えるこの雑誌に興味を持っていたことがありました。
一番興味を持ったのは、この雑誌の最大の特徴でもある、「創刊以来、一切広告を載せていない雑誌」であるという点でした。学生時代の私が考える雑誌というのは、雑誌の販売売上もありますが、多くは広告収入で成り立っているビジネスモデルだという認識があったので、「なぜ広告を載せない雑誌が、こんなに長い間、発行され続けているのだろう」という単純ですが、強い疑問があり、それが興味の対象になっていったのを記憶しています。
広告を掲載しない理由は、氏が広告嫌いだったのではなく、自社広告は載せています。自身でミリ単位まで気を使ってレイアウトした誌面に他社の純広告が割って入るのを嫌っただけで、新聞広告は自身で作り、誌名のロゴも毎号新しく書かれていたそうですが、氏の手書き文字によるコピーやデザインにはユニークなものが多いです。
この「広告がない」ということにも関連するのですが、もう一点有名な特徴として挙げられるのが本誌の一コーナー「商品テスト」です。
これは、生活者視点に立ち、当時市場に出ていた家電製品や石油ストーブ、靴下から鉛筆に至るまで、本当に安全で良い製品なのかどうかを編集部でテストして、誌面上で公開するというコンテンツでした。
売手市場であった高度成長期、有名メーカーの製品にケチでも付けようものなら、広告出稿が止まってしまうことなど簡単に起こった筈ですが、本誌は創刊以来というもの広告は一切掲載しない方針であるため、そういった商業的なリスクヘッジは不要ということで、徹底的に商品をテストします。
氏の考え方としては「商品テストは消費者のためではない。メーカーのためだ」(cf.『花森安治の編集室』/唐澤平吉著)というものでした。
<商品テスト>は、消費者のためにあるのではない――このことを、はじめに、はっきりとさせておかねばならない。
(中略)メーカーに主義主張はない。売れるものを作るだけである。よい商品を作れば売れる、となれば、一生けんめいよい商品を作る。
/『暮しの手帖 保存版III 花森安治』(暮しの手帖社発行)
結果論としてかもしれませんが、広告主に媚びるのではなく逆に徹底的に生活者(消費者)に寄る、こうしたユニークな方針が本誌の強みとなって、今日に見られるような特定の名声を稼いだのでしょう。一万部から始まり、一時は九十万部まで発行部数を伸ばした雑誌のようです。
この「商品テスト」がどれだけメーカーに響いたかは分かりませんが、その後、日本のものづくり界は品質を高めていき、世界トップクラスの品質基準で検品作業をおこなう国にまでなりました。
cf.煙を嗅ぎながら延焼を体感「死に様試験」/日立アプライアンス(2011年10月24日,「日経情報ストラテジー」)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111017/370918/
昨今、日本のものづくりが振るわないという暗いニュースも多いですが、品質が良いという部分では世界でも秀でていると感じます。「良いモノを作る」という気持ちは、引き続き作り手として強く持ち続けていたいと改めて感じました。
以上、今年もまもなく終わりに近づいていますが、今年生誕百年になる3人の文化人について挙げてみました。
いずれの方も辿られた人生を今振り返ってみて、困難や壁に当たらず楽に生きてきた方はいなそうです。つまり、今現在が最も困難な時代であるかのように感じてしまうこともあるのかもしれませんが、もしかすると、困難の絶対性で言えば今も昔も変わらず、今を生きる当事者が皆、常々感じる共通感覚なだけなのかもしれない、とふと思いました。
また、常に挑戦できる目標や競争相手があるからこそ「挑戦」できるし、その過程を経て自身や自社が成長するのであって、逆に見ればしっかりと目標に向かって突き進む以上は、そうした目標や相手に引っ張り上げてもらえているということになるのかもしれませんね。
要は心の持ち様だということで、文化の日、2011年秋の収穫として得たものを書くことで、本コラムを締めさせて頂きます。





















