コンテンツマーケティングの近代以降の歴史~インテリジェンス・オブ・コンテンツマーケティング<3>~

投稿者:コンテンツ編集課

2014/10/30 10:51

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1900年にフランス・パリで創刊されたミシュランガイド

1900年にフランス・パリで創刊されたミシュランガイド

前回のコラムでは、コンテンツマーケティングの起源が紀元前4200年の洞窟壁画であるという諸説が唱えられていること、記録として残されているもっとも古いコンテンツマーケティングが1895年に創刊された農業情報誌「ファロウ(The Furrow)」であることについてご説明しました。

“インテリジェンス・オブ・コンテンツマーケティング”第3回では、現在のコンテンツマーケティングの手本となったと言われるファロウ創刊後の近代において、どのようなアイデアが創出され、どのようなマーケティングが行われてきたのかをご紹介します。

ファロウに続くコンテンツマーケティングとは

皆さんも「ミシュラン(Michelin)」という名を一度は聞いたことがあるかと思います。ミシュランは、1863年の設立以来、世界中のありとあらゆる国や地域で自動車などのタイヤの製造・販売を行ってきた、フランスが誇る世界最大級のタイヤメーカーです。

近年の日本では、2007年にレストランやホテルの評価を星の数で表す「ミシュランガイド(The Michelin Guide)」の東京版が創刊されたこともあり、その知名度をさらに上げています。

日本でもすでに定着した印象があるミシュランガイドですが、フランスでの創刊は1世紀以上前の1900年。古くからから親しまれているガイドブックであり、実はファロウに続いて誕生したコンテンツマーケティングであるということも有名な話です。

ドライブ文化の普及を目的に創刊された「ミシュランガイド」

ミシュランガイドが創刊された1900年のフランスでは、パリ万国博覧会が開催されました。国を挙げてのビッグイベントであることや当時ドライブ文化が広まり始めたことも重なり、華の都はかつてない活気を見せていました。

そんなパリの盛り上がりに一役を買ったのがミシュランガイドです。赤い表紙がトレードマークの本は、より安全で楽しいドライブのためのガイドブックとして登場し、タイヤの使用方法や修理方法、市街地図のほか、ガソリンスタンドやホテルなどの実用的な情報が掲載されていました。そんな有益な情報が満載の“小さな赤いガイドブック”がドライバー向けになんと無料で配布されたのです。

この大盤振る舞いの無料配布には、戦略がありました。それはもちろん、旅行者の移動を促し、ミシュランが製造するタイヤの販売を伸ばすこと――そう、価値ある情報を提供し、ファンを増やし、集客につなげるというコンテンツマーケティングそのものでした。

その後、約35,000部のミシュランガイドが自動車修理工場やタイヤ販売店にも無料配布され、市民の支持を受けて大好評に。毎年、最新版が刊行され、燃料補給や自動車整備に関する有益な情報をドライバーに提供するとともに、宿泊施設や食事に関する情報も掲載されました。1920年代末には、店の評価を表す「星印」が登場し、そのスタイルは現在まで継承されています。

ミシュランガイド後のコンテンツマーケティングの変遷

無料のレシピビックをきっかけに売上を伸ばした「ジェロ」

1904年に配布されたジェロ

1904年に配布されたジェロ

ミシュランガイドに次ぐコンテンツマーケティングは、米国の食品メーカークラフトフーズ(Kraft Foods/現・モンデリーズ・インターナショナルズ Mondelez International)のフルーツゼラチンミックス「ジェロ(Jell-O)」のレシピブックです。ジェロは粉末をお湯と水に溶かして冷蔵庫に入れ、4時間で完成する冷たいフルーツデザート。この手軽なデザートのレシピブックが1904年に無料で配布されました。

レシピブックの内容としては、ジェロの製品を前面に押し出すのではなく、手軽でアイデアに富んだ調理法を紹介。「パラダイス・プディング」や「ジェロ・マシュマロ・デザート」などが多くの主婦たちの心を掴み、1906年にはジェロの売上が100万ドルを超えました。無料でレシピブックを配ることで消費者に身近な商品であることを認識させ、売上を伸ばすというこの一連の手法は、コンテンツマーケティングの最たる成功事例と言えるでしょう。

技術革新の一役を担った雑誌「ベンチマーク」

1913年に創刊され、今日も刊行し続けている雑誌ベンチマーク

1913年に創刊され、今日も刊行し続けている雑誌ベンチマーク

ジェロのレシピブック配布の約10年後の1913年、バーンズ&マクドネル(Burns&McDonnell)によって雑誌「ベンチマーク(BenchMark)」が創刊されました。米国・カンザスを拠点とするバーンズ&マクドネルは、航空、防衛、環境などの市場向けに、エンジニアリング、建築、建設、コンサルティングのサービスを提供しています。

ベンチマークは、技術者向けにエンジニアリング分野のトレンドや話題を掲載。建設現場や発電所などの大型施設で安全な作業を行うための危機回避のポイントや、大量生産を行う工場でのコストカットや生産性を高める方法などを紹介してきました。

ベンチマークに関しては、雑誌を通して業界全体の作業効率や製品のクオリティのアップを促した点で、コンテンツマーケティングの手法に該当すると言えます。また、今日でも3ヶ月ごとに新刊が発売され続けており、エンジニアたちの技術革新促す役割を担っています。

シアーズ・ローバックのラジオ放送による農業支援

画像元:シアーズ・ホールディング

画像元:シアーズ・ホールディング

1923年になると印刷物以外のコンテンツマーケティングの伝承方法が登場します。カタログによる通信販売で成功を収めていた米国・イリノイのシアーズローバック(Sears, Roebuck and Company/現シアーズ Sears)は、1920年の初頭よりデフレ危機に苦しんでいた中西部の農民の救済方法について考察していました。

そこで、シアーズローバックは農業やホームサービス部門による情報支援のために「シアーズローバック農業財団」を1923年に設立。ラジオ局の放送枠を購入しました。

以降、シアーズローバック農業財団は、ラジオ放送を通して独自の情報コンテンツを農民に提供していきます。デフレ危機のなかで「農場をよくし、売上をアップさせ、生活の質を向上させる」を合言葉に農業の衰退の阻止に貢献しました。さらに農民と良好な関係を構築し、収益性の高い農業市場への事業拡大にも成功。コンテンツを通して有益な情報を展開することで、企業としても成功を収めることができたのです。

ラジオドラマを通して製品の宣伝に成功したP&G

1930年代のP&Gのラジオドラマ進出はダスやオキシドールなどのブランドの宣伝に

1930年代のP&Gのラジオドラマ進出はダスやオキシドールなどのブランドの宣伝に

シアーズローバックが展開したラジオによるコンテンツマーケティングの手法は、1930年代に入るとさらなる拡大の様相を見せます。そのきっかけとなったのは、洗剤や石鹸などの家庭用製品を取り扱うプロクター・アンド・ギャンブル(The Procter & Gamble Company/以下P&G)による連続ラジオドラマへの進出です。

この試みは大当たりし、日本の「昼ドラ」にあたるドラマのスポンサーになることで、ダスやオキシドールといったブランドのよい宣伝となり、ターゲットである主婦層を中心に大幅な認知度アップを実現。ドラマの熱心なリスナーは、そのままP&Gの家庭用製品の買い手となりました。

ドラマによって製品の強みが伝わり、消費行動につながったという点でコンテンツマーケティングとして成功した事例と言えます。

また、その後のドラマのスポンサーには、P&G以外にも石鹸洗剤メーカーがつくことが多くなり、「昼ドラ」が「soap opera(ソープオペラ)」と呼ばれるようになった所以にもなりました。1つの宣伝方法が確立されたコンテンツマーケティングの事例と言っても差し支えはないでしょう。

次回の第4回“インテリジェンス・オブ・コンテンツマーケティング”では、「近年のコンテンツマーケティングの歴史」についてご紹介していきます。

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【編集担当:石川】

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